手術ってすごい!

初めての全身麻酔による手術。でも特段緊張はしなかった。

多少の不安はある。例えば開腹してみて初めて分かることもあるだろう。それが悪いことで手術が続行できなくなるかもしれない、というようなことだ。

でも僕は、自分の力の及ぶ範囲を超えた面倒臭いことがおきると、どうにもならないことはどうにでもなっていいこと、として逆に落ち着くことがある。

もうあとはまな板の上の鯉である。医師に全てを委ねるしかない。

なによりO医師からは、命の危険に晒されるような手術ではないということも聞いていた。

僕としては、CVポートを埋め込んだ時のように、局所麻酔でなまじっか意識ある状態ではないのはすごく大きい。

さて、手術前、麻酔科医のS医師が僕の元に訪ねてきた。歳は50前後だろうか。背はそんなに高くないが、ベテランの風格がありどっしりとした佇まいは少し威圧感を感じさせる。

このS医師が全身麻酔に伴うリスクなど分かりやすく教えてくれた。僕の中で面白かった点が2つあった。1つ目は、確か全身麻酔で口にいれるチューブの話だった。

歯が弱っているとチューブによって、歯が欠けてしまったり抜けたりすることがあるらしい。チューブを口にいれておくだけなのに、なんで歯が欠けるの?と思うでしょ。

実は、手術中、手術台に載っているあなたの体は、手術台とともにかなりダイナミックに回されるのです!!!(とS医師が言っていた。)

ドクターXもとい大門未知子のような手術台を動かさず、一点に立ちながら手術を行われることはまず無いという。

ぐるぐると動かしている最中に、歯が弱いと、口に挿入してあるチューブで歯が欠けてしまったりすることがあるらしい。

そしてもう一つが、全身麻酔により脳梗塞や心筋梗塞などで死亡する可能性の説明。いままでは造影剤等で死亡する可能性を示唆されては、示唆されっぱなしで、じゃあとりあえずサインしてね、というノリであった。でもS医師はちょっとしたフォローをしてくれた。

本当にちょっとしたことなのだけど、僕はこの言葉に大きな納得感を得た。

「脳梗塞などの予期しない反応が出ることがごく稀にあります。ただ、それが起きたとしても、あなたはその時病院の中で一番安全な場所にいると考えてください。」

確かにそうなのである。医師に囲まれているため、何かしらの反応が起きたとしても迅速な対処が可能なのだ。単純なことなのだけど、投げっぱなしジャーマンを仕掛ける医師ばかりで、いままでこういった説明をしてくれた人はいなかったのでありがたかった。

S医師は僕に驚きと安心を与え病室から去っていった。とても心強かった。

手術にあたり、もう一つ大切な準備があった。少し恥ずかしい儀式、そう剃毛である。下の毛を剃るということだ。

手術の前日の朝だったろうか、若い看護師さんが病室に訪ねてきて、これから剃毛をしますと同じフロアの処置室につれていってくれた。

僕はてっきり、剃毛師という渋い肩書きを持つ墓守みたいなじじいが、僕の下の毛を剃ってくれるものかと思ったのだが、そうではなかった。

なんと看護師さんに剃毛されるのである!ということに処置室に入ってから気が付きドギマギする。

硬いベッドの上に寝かされて、ざっとカーテンを閉められる。看護師さんは手袋をはめ、ズボンを泌尿器ぎりぎりまで下ろす。ゼリーのようなものを塗られ、銀色のトレーから取り出したカミソリで、おもむろに毛を剃っていく。そこに恥じらいはない。慣れたものである。

というより、ここで変な恥じらいを出されてはこっちも気まずいので助かった。

意外にもそんなに丁寧に剃るわけではなく、剃り残しをそれなりに残して剃毛終了である。

まあ、全くそういったニュアンスのない儀式であったわけだ。それはそれでなんだか少し物足りない、と言っておこう。

さて、部屋に戻り剃毛した部分を鏡に写して眺めていると(フル○ンになっていたわけではない!)、急に自分のお腹が愛おしくなった。

そう、明日この綺麗なお腹とさよならしないといけない。なにせ開腹手術を行うのだから。

最後に写真でも撮っておくか、そう思ったがすっかり忘れたまま手術に臨んでしまった。今思えば、あれが自分の綺麗なお腹を見た最後であった。

いまだにお腹を見ると少しさみしい気持ちにさせられる。

手術当日、手術は9時スタートと朝早かったが、日課にしていた朝の散歩は行なったと記憶している。

実は僕は朝と夕方の2回、近所を散歩するというのを習慣にしていた。

1日中点滴生活だったのだけど、1日に2回ほど点滴が外される時間帯があったのだ。それが早朝と夕方3時くらいであり、毎回その時間になると僕は病院を抜け出していた。

もともと病院にいるときもできるだけ私服で過ごしていたため、私服で病棟をうろうろしていても看護師に怪しまれることはない。なので、抜け出すのは簡単であった。

なにより体を動かすと気持ちいいし、特に冬の早朝のピリっとした空気は心地がいい。

ちなみに病院で過ごす際、できるだけ私服のままでいるというのは自分のメンタルのためだった。やっぱりパジャマより自分の着たい服を着ていた方が気分がアガる。入院当初から実践していたことなのだ。(以前紹介した高山さんの本にも私服で過ごす旨が書かれている。共感せずにはいられない!)

話を戻そう。僕が散歩から帰ってきてしばらくすると、家族も集まってきた。

病室で家族と団欒していると、時間通りに看護師さんからお呼びがかかった。手術室の準備ができたらしい。得てして病院は待たされるところだと思っていた僕にとっては意外だった。聞くに朝一の手術だったので時間が遅れることはあまりないらしい。

手術着に着替え終わると、看護師さんに連れられ僕は家族とともに手術室のあるフロアへ歩いて向かった。

てっきり、キャスター付きのベッドに横になったままゴロゴロと運ばれていくのかと思いきや、徒歩である。

現実とドラマはやはりちがうんだなーなんて思いながら手術室へ歩を進める。

手術室のフロアに着き、家族とはしばしのお別れである。母親はがんばって、と声をかけてくれた。僕はその声に右手をひらひらふって手術室の方へ向かった。看護師さんがそんな僕を見てニヤっとした。こんなに落ち着いている患者はめずらしいのであろうか。

手術室の前に、まずは少し大きめの部屋に通された。そこで、今から手術を受ける患者さんたちと一緒に簡単な問診と血圧を計測する。意外と患者さんの人数は多かった。

問診が終了し、その部屋の入り口の反対側にある自動ドアをくぐると、ピリッとした緊張感のある空気が流れ込んできた。

目の前の廊下は右から左へと横に伸びていて、そこを医師や看護師が忙しなく動き回っていた。

そしてその横に伸びた廊下の壁に手術室の扉が横一列にいくつも並んでいた。パッとしか見ていないが10部屋ほど並んでいたように思う。

この部屋の中でいくつもの手術が同時に行われているんだな、なんだか自分が大きな機械にこれから組み込まれていくような感覚があった。

僕はその中の手術室の一つに通された。少し肌寒い、それが手術室の最初の印象であった。

まずは手術室の真ん中にある手術台に寝かされる。これから早速麻酔を行なっていくらしい。麻酔科医のS医師と何人かの見慣れない顔の医師や看護師が僕の体に様々な計器をつけ始めた。

「それではこれから硬膜外麻酔を入れていきます。体を横にしましょう。」と医師に言われ、僕は体を横にした。すると目の前にはO医師のアシスタントであるN医師が姿があった。見慣れた顔に少し安心する。

ちなみに硬膜外麻酔とは、背中から脊髄近くの硬膜外腔というところにカテーテルを挿入しそのカテーテルから麻酔をいれるというものらしい。

背中から伸びたカテーテルに麻酔とスイッチを付け、術後、患者の意思で麻酔を痛み止めとして投入することができるようになる。ただ術中はどのような使い方がされているか不明である。

その硬膜外麻酔、なかなか繊細な技術が必要になるらしい。医師に背中をダンゴムシのように丸くまるめてください、と言われ様々な計器や点滴をつけられた体をなんとか不器用に丸くした。背中にまず硬膜外麻酔を付けるための麻酔を打つ。

そして、「動かないでくださいね。」という緊張のこもった声が医師から発せられた。なんだかものすごく痛い事が起きそうで、少しひやひやした。

結果を言えば、この件も含め、医療のペインコントロールは非常に進んでいて、手術前の準備にはほとんど痛みを感じる事がなかった。そしてその後さらに医療はすごいなと思う出来事が起きた。

硬膜外麻酔のカテーテルを背中に差し込み終えると再び仰向けになった。僕は口にマスクをかぶせられる。いわゆる医療用のプラスチックのマスクである。

僕の頭の先のほうから”男性医師”の声が聞こえる。

男性医師「それでは今から10秒数えてくださいね。」

僕「1、2、3・・・・・」

女性医師「はい!手術終わりましたよー!」

そう、手術はあっという間に終わったのである。

(手術の説明や手順の部分で僕の記憶違いがあるかもしれません。なにとぞご了承くださいませ。)

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コラム:退院したらやりたいこと

自分の生き方が変わった。本当にそう思う。

 

 

最初のがん告知からしばらく僕は、自分の未来を考えることができなかった。頭の中はとにかくどういままでの生活を取り戻すか、それで一杯だった。

でも、手術ができることが分かってから自分の未来を考えることができるようになった。

例え肺に転移していたとしても、大腸がんの場合は切除すれば根治する可能性がある。それはこれまで読んできた大腸がんの本や、鳥越俊太郎氏の本にも書いてあり、その事実は僕に未来を考える余裕をくれたのだった。

そして、いままでの仕事を中心とした生活が突如打ち切られ、ベッドの上で過ごす時間ばかりになったこともあり、冷静に今までの自分の生き方を振り返ることができた。これは僕にとって収穫、いや大豊作であった。

なにより、命があること、命に限りがあるという普通のことががどんなに特別なことか思い知ったことは大きい。

先日、ドイツの友人からある言葉を教えてもらった。働き盛りの彼は先日多忙な仕事が原因で体調を崩した。そして休みを利用しスリランカでアーユルヴェーダのキャンプに参加した際、心に残った言葉があったのだという。

“People have two lives. One before and one after they have realized that they just have one life.“「人には2つの人生がある。命は1つしか無いと気付く前の人生と、気付いた後の人生である。」

まさにこの言葉と同じことを僕は入院中に体感していた。

“人生は一度きり悔いのないように生きないといけない”なんてこと、いままでもそのことは知っていた。だけど理解していなかったんだな、と。

結局これは言葉で言ってもわからなくて、身を以て知らされないと理解できないのだろうなと思う。

だから、退院したら自分自身を許し、自分の好きなことをしようと思ったし、今そうしている。ぼやぼやしている時間はないのである。

もう少し人間の成熟度が高ければ、家族や社会に対し何ができるか、考えるのだろうけど、僕の場合は単純に「好きなことをやろう」だ。

入院中は、そのことを考えるのに夢中になった。いままで我慢していたこと、先延ばしにしていたことをやってみようと、リストを作った。まだまだできていないこともあるけど、少しづつチャレンジし始めている。

恥ずかしながら入院中絶食してたこともあり、◯◯という寿司屋にランチに行ってあじのたたき定食を食べる、といったすぐ叶う目先の希望もあったが、そういう小さなことも全部書き出した。

ものによっては途中で投げ出してしまうかもしれないし、お金の無駄になるかもしれない。でも、僕の人生、どこで打ち切られるかわからない。

いままでは優柔不断な僕であったのだけど、やりたいと思ったら今度じゃなくて今やろう、と思うことができている。

だから最近、なんだか自分の生き方が変わったなあ、と感じていて、なんだか日々、わくわくしているのです。


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大腸がんの手術の説明

手術日を次の月曜日に控えた金曜日の夜、主治医から検査の結果と手術の手順についての説明があったのだが、まずはこの時点での僕のがんの状態についておさらいをしておこう。

そもそも僕のがんは前のF病院でステージ3か4と言われていた。

腫瘍の場所は、上行結腸と横行結腸の間にありサイズは大きい。

その大きさゆえ、CTで見る限り腫瘍が十二指腸に触れている。なので、十二指腸に浸潤している可能性があった。

そして、腫瘍周りのリンパ節も2つ腫れていることから、リンパ節転移の疑いがある。

さらに、肺にも1-2つ極小の白い傷(影)が確認できていた。

そのため、ステージ3か4という見立てであった。

さて金曜日の夜、約束の時間を少しだけ過ぎた頃、O医師が病室に顔を出し、同じ入院病棟にある会議室へと案内してくれた。小さなデスクにパソコンが置いてあり、その周りに椅子が数個置いてある小さな空間である。参加者は当事者の僕、両親と次男の4名であった。

O医師はまず検査の結果を振り返って、言葉を選びながら僕のがんの現状を一緒に確認した。

やはり今までいくつの大腸がんを見てきたO医師から見ても僕の大腸がんは大きいらしかった。僕の母親はそれを聞き大きなため息を漏らす。

しかし、僕は動じなかった。がんは大きさではなく、浸潤の深さであるということを知っていたからである。

そして良いニュースがあった。T病院での検査の結果、O医師の見立てではステージ3aだろうとのこと。リンパ節の転移は2つあるが、彼の経験上肺の小さな白い影は悪性腫瘍でないと思うとのことであった。

恐らく前回F病院のCTの検査結果とこのT病院での検査結果を比較した際、白い影の成長が見られなかったということもあるのだと思う。

とにかく経験のある医師からステージ4ではない、と断言されたではあるが、僕の気落ちは少し複雑であった。なんとなく期待してはいけない気がしたのだ。がんになってからというもの、期待することに恐れをなしていたのだと思う。

そして彼は続けて、いくつかの書類を元に手術の手順を説明していく。今回の手術のキモはなんといっても、前F病院では手術不可と言われた十二指腸と大腸がんの浸潤部分の処置である。

まず手術は開腹手術で行うという。傷跡の少ない腹腔鏡の可能性を僅かながら追っていた希望は打ち砕かれる。腫瘍が大きいのだ。まあ、仕方がない。

手術術形式は「右半結腸切除術・十二指腸合併切除術(膵頭十二指腸切除術)」というらしい。

まず、右半結腸切除術だが、これは大腸の右側全部切り取りまっせ、というものである。つまり横行結腸の真ん中から虫垂にかけて全部切り取られる。

しかし僕はなぜか術後しばらく盲腸や虫垂はまだ残っていると勘違いしていたのであるが・・・。

そんなボケボケの状態であったので、十二指腸合併切除術に関しては更に記憶が曖昧である。なのでここで説明不足やとんちんかんなことが書いてがあってもそれは全て僕のせいでありO医師のせいではない。

とにかくここは手元にあるO医師の書いてくれた子供の落書きのような絵(失礼すぎる!)と僕の記憶を総動員して説明しよう。

十二指腸合併切除術は、大腸がんが浸潤している十二指腸の一部分を切り取り、切り取って開いた穴に小腸をつなげる手術である。

まず十二指腸の浸潤部分の表層を切り取る、すると十二指腸のチューブに丸い穴が開いた状態になる。

そして次に、小腸を二つに切る。十二指腸と繋がっていない片方Aの小腸を十二指腸の穴につなげる。もう片方Bは十二指腸にもともと繋がっているが小腸からは切り離された状態になっているのでもう片方Aの小腸の中腹へ接続し直す。

つまり、十二指腸から小腸へ消化物が流れるルートが2つできるということだ。(これをO医師が言っていたのは確実に覚えている。)

僕が思っていたよりはるかに人体というのはいじり放題なのだなあと感心した。

さらにO医師は、十二指腸のへがんの浸潤が想定よりも酷く少し切り取るくらいでは対応できない時の対策も説明してくれた。それがカッコ内の膵頭十二指腸切除術である。消化器外科で最も難しい手術の一つだと元外科医の叔父から聞いていたそれであった。

十二指腸を体から取り去る時は、膵臓の一部も一緒に取り除かないといけないらしい。なので膵臓がんの手術で行われる術式を行う必要性があるらしかった。少し緊張する話ではあったが、事前の胃カメラで十二指腸内部への浸潤は認められていなかったので、心配する必要はなさそうだった。

さて、O医師の話には特徴があった。手術の説明の時改めてそれを確認した。まず、患者に無用な心配はさせないこと、そして真実については断定的に話すこと、選択肢がある時はポジティブな選択肢を強調すること、の3点である。

患者に無用な心配をさせないという点で言えば、この手術の説明の際に腹膜播種の可能性については一切触れなかったということがある。前のF病院では指摘されていたポイントであったのだが、僕が質問するまで触れなかった。可能性としては考えられることでも彼の見立てに無いことは話さない、そういうスタンスであるらしい。

そして真実に関しては断定的に話すという点だが、腹膜播種があった場合はどうするのかという質問に対しては、手術を中断し化学療法に切り替える、と僕の顔を見て断定した。そこにいつもの患者思いの姿はない。

そして最後に、選択肢がある時はポジティブな選択肢を強調するというところだが、それはステージ3aを押した時に垣間見れた。「肺への転移はない、そう言い切ることはできないけど僕の経験上無いと思うからそこまで心配しなくていいよ。」というメッセージを彼の話の中からたびたび感じることができた。

期待を持つことに疲れた僕だったが、いまは彼の経験からくる考えを信じよう、そう思うようにした。
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入院生活の必需品

転院して2日目の朝、特別個室からの引っ越しが突然決まった。

普通の個室への引っ越しになる。当然フロアも変わるのでS看護師に看護されることはもうないだろう。

特別個室のアメニティ関連を懐にいれつつ(通常買わないといけない日用品が揃っているのだ)、看護師さんに荷物運びを手伝ってもらい個室へ移動した。

やはり普通の個室は病院色が強い。

特に床が絨毯ではないってだけでも景色がかなり違ってくる。

とはいえ、個室ってだけで贅沢なのは変わりがない。

相変わらず出費は痛いし、個人的には4人部屋でも全く問題ないのだが、家族の勧めにより個室にした。

手術経験者から手術前後は個室で気兼ねなく過ごしたほうがいいとのアドバイスをもらったのである。まあ手術が終わって落ち着いたら、4人部屋に移ればいいかな、そう考えた。

そういえば、T病院には唯一と言っていい弱点があった。

僕の場合、転院ということもあり入院してから手術まで10日以上の猶予があった。なので、術後の入院を含めて考えると、計3−4週間の入院が見込まれていた。

そんな入院生活、エンターテイメントがなしに耐えきることができない。僕の場合、テレビをあまり見ないタイプなので、インターネットが必須なのであるが、なんとT病院にはwifiが飛んでいないのである。(なんてオールドスクール!)

インターネットがあればエンターテイメントにことかかない時代になった今、インターネットがないというのは大問題である。と、そこで行き着いたのがモバイルwifi。

もしみなさんの病院にインターネットがなかったら、モバイルwifiのレンタルをお勧めする。僕がレンタルしたのはソフトバンクの501HWというものだったのだが、使用容量無制限であったので容量を気にせず使用できた。

レンタルの値段は選ぶ会社やプラン、時期によって変わって来るが、僕の場合は1ヶ月で5000円ほどであった。

つい10年前には、モバイルwifiで無制限にどこでもインターネットできる時代が来るなんて思ってもみなかった、文明の発達に感謝である。

そしてなによりNetflix (ネットフリックスAmazonプライム・ビデオなど、定額で見放題のサービスには感激する他ない。これらのサービスは意外とまだ世間の認知が低いのはあるが、和洋の映画、ドラマ、番組が見放題なのである。

ネットフリックスだと月額650 – 950円で見放題、Amazonプライム・ビデオだと月額400円で見放題である。

両方とも同じようなラインアップではあるが、ネットフリックスは洋物がより多く、Amazonは和物がより多いという印象。

Amazonの場合は、Amazonでの買い物に送料がかからなくなったり、音楽を無料で聴けるサービスや本が読み放題になるサービスもついて、お得感は相当高い。

Amazonプライム・ビデオとネットフリックス共に、1ヶ月の無料体験も提供しているので(2017年10月現在)、映画やドラマが好きな人は試しに一度使われることをオススメしたい。

僕は入院中このネットフリックスとAmazonプライム・ビデオを使い倒していた!

さて、話を戻そう。入院して2−3日で、CT、MRI、胃カメラなど全ての検査を終えた。胃カメラは初めてだったのだけど思ったより苦しくなかった。

というより、鎮静剤の効果がてきめんで、ほとんど記憶がない。カメラが入ったと思ったら終わってた、そんな感じである。

胃カメラに関しては、僕は口にカメラを突っ込まれることでそれなりの苦しさを伴うという事前の情報を得ていたのだが、まったくそんなことはなかった。医療のペインコントロール(疼痛管理)はすごく進化しているらしい。

大腸がんなのに胃カメラ?と思った人もいると思うのだけど、胃カメラを飲んだ理由は、上行結腸のがんが胃の真下についている十二指腸にどの程度浸潤しているか見るためとのことだった。

さてその結果なのだが、、、O医師のアシスタントでここからずっとお世話になり続けるN医師から報告があった。

ちなみにN医師は見た目30歳前後と若めの医師であるが、いつも平静を保っているクールガイである。忙しい主治医の代わりによく病室へ顔をだしてくれてすごく頼りになった。

「胃カメラで十二指腸を見ましたが、少なくとも十二指腸の内側までは浸潤していないですね。」とN医師。

僕はひとまずホッとした。まだ十二指腸には浸潤していない可能性が残ったからだ。

続いてそのN医師からPET CTを追加で受けてもらう話があった。その時はPET CTを知らなかったが、僕はとりあえず了承の返事をしたのを覚えている。

PET CTとは、簡単に説明すると、がん細胞がブドウ糖を取り込む性質を利用して、ブドウ糖に似た放射性物質の薬剤を体内に注入しCTを取る検査。PET CTでスキャンすると、がん細胞に取り込まれたその薬剤の集積を見ることができ、体のどこにがん細胞があるか確認することができる。

ある程度のサイズのがん細胞にならないと集積が確認できないらしいが、僕の場合は他に転移がないか念のため確認しておく、という検査目的だったのだろうと思う。

放射性物質を体内に注入するのは多少抵抗はあったが、四の五の言っていられないというのが正直なところであるし、これで体内にあるがん細胞の見逃しを防げるのであれば、お安い御用である。

とは言えPET CTの日、僕は少し緊張していた。もうこれ以上なにか発見されるのはごめんだった。いつも通りお守りを握りしめ、僕は核医学検査室へと向かった。

検査室へ入るとまずは小さな小部屋で放射性物質の薬剤を腕から注入され、そのあと薄暗い部屋へと案内された。少し広めの部屋にリクライニングシートが10台ほど置いてあった。ここで他の人と一緒に薬剤が体に行き渡るまで安静にするらしい。

というのも、安静にしておかないと、筋肉を使った部分に薬剤が集積してしまうため正確な検査ができなくなるらしい。

事前の説明で、検査薬注入後おしゃべりをしていた人の検査結果例を見せてもらったのだが、なんと薬剤が口元に集積しているではないか。これが自分の身に起きたら精神的ダメージは大きい。

自費で受けると10万円くらいかかる検査が無に帰しただけでなく、「静かにしなさい」と幼稚園の卒園式のリハーサルで先生が子供達に言うようなレベルの忠告を守ることができていないということが、確たる証拠とともに他人にバレてしまっているのである。

検査結果を医師から聞いた際、患者さんも顔が真っ赤かになったことは想像に難くない。

さて、1時間ほどリクライニングシートでゆっくりしていると、ようやく検査室へ呼ばれた。検査自体も通常のCTとは違い、全身の撮影になるからか、体を動かさずに3−40分耐えるという修行のようなものであったが、難なくクリア。

検査は全て終わった。あとは主治医から検査結果と手術の方針を聞くだけである。

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転院と造影剤アレルギーと浣腸

意外とその時は早く来た。

セカンドオピニオンが終わり主治医に転院の報告をした2日後、T病院から「明日来てください。」という連絡が来た。転院したときの医師の問診でわかったことなのだけど、そこそこ緊急性の高い状態であったらしい。なので順番も早くしてくれたのだと思う。

しかし、残念ながら部屋は特別個室である。1日4万円を超える差額ベット代は非常に痛い。しかし背に腹はかえられぬ。入院しながら他の部屋でベットが空いたら移動ということになった。

差額ベット代といえば、病院を退院するときにも若干の驚きがあった。なんと、病院の入院は宿の宿泊と勘定の仕方が違うのだ。1泊2日の場合、通常の宿であれば1泊の”1”を勘定するが、病院は2日の”2”を勘定する。つまり1泊で2日分の料金を取られるのである!

転院ともなれば、転院前の病院の最後の日と転院先の病院の最初の日である”1日”はそれぞれの病院で支払いが発生する。うーむ。なんとも解せない。

という不満もありながら、僕の救世主となるT病院への転院準備を着々と進めた。

それにしても、今回大腸がんを発見してくれた今の病院(面倒なので今後F病院と呼ぶ)には、感謝の言葉しかない。というのも、悪性腫瘍疑惑から入院、それから各種精密検査までの迅速な対応は眼を見張るものがあったし、治療方針が決まってからのアクションも非常に早かった。

結局F病院では治療を受けなかったけど、医療体制がしっかりしていると感じた。

あと、看護師さんたちが素晴らしかったのも印象的であった。コミュニケーション能力が非常に高くて、できるだけ僕が前向きに生活をおくれるように気を使ってくれていた。明るい人が多くて職場が楽しそうだった。

転院の日の朝、僕はお世話になったY医師に一言挨拶をしようと思ったが残念ながら不在でそれは叶わなかった。無表情な彼だったが、いい医師だったと思う。アシスタントのT医師に挨拶をし、担当看護師で一番お世話になったMさんがエレベータまで見送ってくれた。暖かい病院であった。

 

 

転院先のT病院に着き、受付を済ますと特別個室専用のフロアへ通された。フロアの扉が開くとおよそ病院とは思えない光景が広がっていた。絨毯が敷き詰められた廊下の先には中庭があり、フロアには座り心地が良いであろうふかふかの椅子と心を癒す観葉植物が所々に置かれている。

うーん、いかにも”すごい”と言う感じで書いてみたものの、いまいち伝わりづらい。

とにかく病院とは思えないのである。ホテルで言えば4つ星くらいの雰囲気だった。

特別個室のフロアには、そのフロア専用の受付があり、いかにも気が利きそうなシュッとした品のある女性が一名いる。彼女が僕を部屋へ案内してくれた。

部屋に入っても、やはりそこはもうホテルの趣き。アメニティも充実している。一通り部屋の説明を受け、一人になり部屋のソファでくつろいでいると、看護師の女性が部屋にはいってきた。ベテラン感が滲みでている。さすが特別室、看護師も信頼できそうだ。(いままでが信頼できそうでなかったわけではない。)

特別室は部位ごとにフロアが分かれている一般病棟とは違い、様々ながん患者いるからそれなりに経験のある人ではないと難しいのかもしれないなと思った。

さてそのベテラン看護師であるが、ソファーに横たわる僕のもとへ来て、かがみこみ、目線の高さを僕に合わせて、「担当看護師のSです。よろしくね(んふ)」と、言葉になんともいえない妖艶さをまとわせ挨拶をしてきた。そういえばなんだか手つきや目つきも妖しい、気がする。

と、看護師のSさんが気になり始めた僕を横目に、彼女はクリニカルパスを説明してくれた。ちなみにクリニカルパスとは、簡単にいうと入院してから退院するまでの日程表のことである。事前の検査に関してはもう一度やり直すことも聞いた。

やはりというか、手術を行う病院が自分たちで検査を行うのはありえると思っていた。何かあった時、他の病院のせいにできないしね。

検査は、血液検査、レントゲン、上部下部の腹部CT、MRI、大腸内視鏡、胃カメラというお決まりの検査である。

早速入院初日、大腸内視鏡とCTの検査が組まれていた。前回はニフレックという2リットルもの下剤を飲用したのだけど、今回はさすがに2週間以上の断食生活を送っているため浣腸だけでいいらしい。

そしてこのS看護師、患者に浣腸をするのが好きらしい。(一体どういう情報を患者に共有しているんだ!)

「じゃあ、あとで浣腸をしにきまーす。(んふ)」

と、S看護師は頭から音符を出しながら部屋から出ていった。

しばらくすると、若い看護師さんが点滴を持って来てくれた。僕の主食である点滴はF病院退院の際に取り外されていたのだ。

さきほどの”特別個室だからベテランが—-”の件が怪しくなるくらい新人な感じであり、そしてその直感は間違っていなかった。

この看護師、CVポートへ点滴を刺すことができないのであった!

右胸に埋めてあるCVポートだが、やはり皮膚に針を刺す時少しだけ痛い。そしてこの看護師、「あれー。あれー。」と言いながら3−4回ポートへの差し込みをトライした、つまり3−4回僕は痛い思いをしたのだ。

結局、他の看護師に手伝ってもらいことなきを得たが、特別室だといっても経験豊富な看護師だけがいるというわけではなさそうである。

そんなこんなでドタバタをしているうちに、CTの検査に呼ばれることになった。最初は恐れおののいた造影剤を使用に関する同意書にもあっさりとサインをし、検査着に着替えて、検査室へ向かう。前回、特に造影剤による副作用もなかったので余裕綽々である。

検査室に着くと、CTの置いてある部屋にスムーズに通された。造影剤を右胸のCVポートから注入され、検査開始である。

CTの機械の中に吸い込まれていく僕の体。

胃の中からこみ上げてくる液体物。

待てよ、おかしい。

いや、でも、少し我慢すればおさまるかも。

あ、だめだ。

僕は体をよじりながら、検査前に右手に握らされた非常用スイッチを押した。

なんと、反応がない!

このスイッチ押したら助けに来てくれるって言ったじゃん!

スイッチを何度も押した。

どうしました?

ようやくどこからかスピーカー越しの声が聞こた。

が、もう答えられるフェーズではない。こみ上げて来ているものを堪えるので必死である。

ドアの開く音、数人のバタバタとした足音が聞こえる。

CTから抜き出された僕。体を横向きにされ、口元にビニール袋が当てられた。

手早い処置。・・・僕は苦しみから解放された。

どうやら造影剤の効果はそのまま残っているらしいので、数分間の休憩後、検査は続行された。

まさか、僕が造影剤のアレルギー持ちだったとは・・・。前回のF病院での造影剤CTの時はなんともなかったのだが、なんと2回目でアレルギーが目覚めてしまったらしい。

そして聞くだに造影剤アレルギーは回数を重ねるごとに悪くなっていくらしいのである。一回吐いて終わりってことであれば別になんてことないのだけど、悪くなっていくってことは・・・、と考えると恐ろしい。

とりあえずCTなど隔離された状態での検査で何かあった時は、非常用スイッチは連打した方が良いらしい。1回だけだと「間違えて押したのかな。」と思われてレスポンスが遅いのである。みなさんもお気を付けください。

CTが終わり、念のため車椅子で押され病室へ戻った。次は大腸がん内視鏡なのであるが、検査室で空き時間ができたところに強引に入れる、とのことなので、いつになるか全くわからないとのことだった。

CTから帰って来て1時間くらい経ったであろうか、S看護師が部屋に現れた。そう、あの時間である。

僕はCTの時に着替えた検査着のままベットに横になり S看護師にお尻を向け、全てを委ねた。そして、、、

—自主規制—

あたりもすっかり暗くなったころ、やっと大腸内視鏡に呼ばれた。

やれやれ。

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セカンドオピニオンとその後

「診察室の前で待っていてください。看護師から転院の手続きについて説明があります。」

O医師にそう告げられ、僕は「ありがとうございました。よろしくお願いします。」と一礼し診察室を出た。

家族から「よかったね。」と声をかけられる。

そう、本当によかった。

 

 

10分も経たないうちに看護師さんから呼び出しを受け、転院の手続きについて説明があった。前回の入院はドタバタしていてあれよあれよという間に決まったけど、どうやら今回はそうは行かないらしい。ベッドが空いていないのである。

入院費用にはベッド代というものがかかる。ベッド代は通常の健康保険でまかなえるものの、部屋やベッドの位置によって差額ベッド代というものが発生する。

例えば4人部屋の廊下側は無料だけど、窓側は一泊5000円かかり、個室になると3万5千円かかる。特別個室というものもあり、ドラマに出てくる社長室のような最上級の特別個室になると、一泊15万円を超えてくるのだ。

そして無料のベッドは空きが出にくく、値段が上がれば上がるほど空きが出やすくなる。長くなるかもしれない入院期間、やはり1日5000円以上払い続けるのはお財布に優しくない。

とはいえ、僕の場合はあまり時間の猶予がない。なぜならがんは既に大きく育ち、大腸は狭窄を起こしている。

手術をしないことにはこのまま点滴と経腸栄養剤のみでの生活を強いられる。(ちなみに僕の愛飲していた経腸栄養剤ラコールNF – ミルク味 はおいしい!)

背に腹は変えられないと、4人部屋の窓側、普通の個室、特別個室の一番下の等級、の優先順位で申し込みをした。

「いつになるか分かりませんが、ベッドが確保できたら入院の一日前に連絡します。」と看護師さんから話があった。

入院一日前に連絡とはずいぶんと急なものだな、と思いながら僕はT病院を後にした。

後に身を持って知ることになるのだけど、やっぱり治療っていうのは一筋縄ではいかなくて、最初にもらう入院計画書通りにはいかないこともある。

それに隣のベッドの会話など聞くと「うーん、やっぱり明日の退院はやめて、来週まで延ばしましょう。もう少し様子見させてください。」という主治医の言葉もそれなりの頻度で聞こえてくる。

また緊急性の高い患者さんを優先して入院させることもあるというのも聞いた。当然の措置だと思う。

いつベッドが空くか、未来を予想するのは病院サイドにとって難しいのである。

 

 

僕はいつもの病院に戻った。すると夕方くらいだったろうか、突然白衣の集団が病室へ乗り込んで来た。何やら奥のベッドから順番に患者と話をしている。そう、世に言う、回診というやつである。

僕の入院していた病院は大学病院であった為、教授総回診というものが週に1度あるのであった。僕にとっては初めての回診である。いままでは運良く検査などで逃れていただけらしい。

名前が呼ばれ僕の部屋のカーテンがざざっと開けられる。すると、見たことのない少しパーマをあてた白髪混じりのナイスミドルが立っている。後ろにはいつもの主治医のYさんとT医師、その他よく知らない医師っぽい人たちが勢揃いしている。

そのナイスミドルが僕の足側のベッドガードに両手をかけ、さわやかな笑顔と口調で「消化器内科、教授のナイスミドルです。調子はどうですか?」と声をかけてくる。

「ね、いまは食事制限中だけどね、ストーマつけてね、化学療法がんばりましょうね。」とナイスミドルは続けた。

転院を決めた今、今更ながらの初登場であるナイスミドルにはすごく興味がない。

そして、人に気に入られようとするその”さわやかさ”に気持ち悪さを覚えた僕は「誰、お前?」と思わず言いそうになったが、懸命にこらえた。(失礼!)

後ろのY医師がなにやらナイスミドルに耳打ちをした。

「今日T病院のセカンドオピニオン受けて来たんだー。僕もねあそこの先生いろいろ知っているんだー。どうだった?」とナイスミドル。

「なんか手術できるかもしれないというようなことをおっしゃられてました。」と、Y医師にまだ伝えていなかった後ろめたさから、曖昧に答えた。

ナイスミドルは「そうなんだー、でもあまり無理しないほうが#$%&?#@”」みたいなことを言い、少しパーマを当てたさわやかな髪の毛を跳ねさせながら病室を出ていった。

中身のない儀式であった。

ただ、Y医師はびっくりしたであろう。それも当然である。僕もできれば主治医に先に話したかったが、突然訪れた回診時に嘘をつくわけにもいかなかったのだ。

Y医師とT医師が回診が終わって間もなく僕の病室へ飛んで来た。

「手術できるって!?」Y医師の第一声である。

「はい、十二指腸に浸潤しているかもしれないけど浸潤している部分だけを切除して、患部を切除できると聞きました。」と僕は答えた。

Y医師は、相変わらずの無表情の中にほんの少しだけの喜びを見せた。やはり彼は患者思いのいい人なんだな、会話中の99.9%無表情だけど。

「なるほど、十二指腸の部分をこそげとる感じか」Y医師はつぶやいた。

僕は転院のことを告げ、改めて紹介状の準備をお願いした。

Y医師は無表情で快諾してくれた。

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セカンドオピニオン

6日後にセカンドオピニオンの予約がとれた。それと同時に僕は少し緊張し始めた。なぜならO医師の言うことが恐らく最も真実に近いのではないか、と思ったからだ。

今いる病院を信用していないわけではないけど、大腸がん治療の経験豊富な病院の有名な外科医の言葉は僕にとっては重たい。

セカンドピニオンの前日、気晴らしに一人で外出をした。何もすることはないが、とにかく体を動かすこと、そして外の空気を吸うことを目的としていたので病院の周りをぶらぶらした。

昼間に街に繰り出すのは、およそ2週間ぶり。でも2週間以上に感じた、10年ぶりに外に出たような感覚。すごく変な感覚。これまでの人生、自分が死ぬかもしれないなんて考えたことがなかった。

でもその時は”もしかすると”という状態だし、100%の心の平穏がない。気持ちが綿あめのようにふわふわしていて、視界に入ってくるものがどこか全体的にセピア色を帯びている。月並みな言い方をすれば夢を見ているようで、現実感がない。

その夕方、会社の同僚がお見舞いに来てくれた。たった2週間ぶりなのになんだかぎこちない。病気のことは聞き辛い空気が漂う。病気のことの話をしないとなるとどうしても仕事の話になる。でもその時の僕にとって仕事の話はストレスになることに気づいた。

普通の生活に戻りたいけど戻れない状況。仕事のことはしばらく考えるのをやめよう、そう思った。

セカンドオピニオンの日。期待していないと言ったら嘘になる。でも一生懸命自分の心に湧いてくる期待を取っ払っていた。

がん告知までの執行猶予期間に、がんではない可能性を追っていた自分、その可能性が現実を前にもろくも崩れ去りどうしようもなく打ちのめされた自分、それを繰り返したくないという思いがあった。

でも、絶対にいいニュースがあった方がいいに決まってる。

家族とともに、T病院に向かうタクシーの中、なんだか喋りたくない気分だった。

ただ、恋人からもらったお守り、父親からもらったお守り、前の会社の上司からもらったお守り、全てを握りしめていた。

病院に着く。国際線の飛行機にでも乗るのかというぐらいに時間に余裕をみていた。予約時間2時間前の到着だ。

受付を済ませ呼び出し用のベルを受け取り、病院内をぶらぶらする。受付では最大50分押していると聞いていたのだが、受付を終えた10分後、院内のレストランで注文を終えた頃、呼び出し音は意外にも早くなった、待合室で待てとのこと。

2時間も余裕がありかつ50分押しているという状況だったのに、受付後すぐ呼び出されたのだ。

注文した飲み物もまだ来ていない状況だったので、家族を残しとりあえず自分だけ待合室に向かった。その道すがら2回目の呼び出し音がかかる。診察室へ入れ、とのこと。

急いで親に連絡しようとするが、なぜかここで自分はすごく焦った。携帯電話がうまく取り出せない。

やはり期待していたし、同時に不安でもあったのだ。突然のことで心の準備もできていない。

親を呼び急いで診察室に入ると、インターネットの記事で見たその人がいる。思った通り柔らかい雰囲気を持っていて話がしやすそうだ。

診察室へは6人で押しかけている。明らかに椅子が足りない。おそらくこんなに大人数で押しかける人々は少ないのであろう。O先生は、奥から椅子を取ってきてくれた。

僕は一体どこから話せばいいのか分からずもぞもぞしていた。

O医師が先に口を開く。その声は優しく力強かった。

「もう診断結果は聞いていますね?」

と僕に質問し、念のため一通り現在のガンの状態を話してくれた。

そのあと、僕は現在の治療手順についてどう思うか聞いた。

O医師の言葉から治療手順に関して否定的ではないが何か思うことがあるのを感じる。

その中で、ストーマの代わりの大腸のバイパス手術はO医師も推奨してくれた。K医師の言うように大腸を多少長く切らないといけないことにはなるが、その程度でクオリティオブライフは変わらないとのことだった。

一通り現在掲示されている治療法に関して話を終えると、O医師はつぶやくようにこう言った。

 

 

「切れると思うけどなー。」

 

 

僕の心臓が大きく動いた。

O医師は続けた。

「いや、大腸がんが十二指腸に浸潤しているかもしれないけど、浸潤している部分だけ切除すればいいだけだし、抗がん剤は効くかどうかわからないから、切除したほうがいい。」

僕の期待していた答えの一つが聞けた。

それにしても抗がん剤が効くかどうかわからないっていう言葉、いかにも外科医らしい。

もう1点気になっていたこと、肺への転移に関して質問して見た。統計上、転移しているかどうかというのは生存率に大きく関わってくる。

彼の答えは、複数個はないと思うが1つの小結節は疑いが残る、とのこと。複数個ないという点は、叔父の知り合いの画像診断師さんとも同じ見解だったので少しだけ安心した。

最後に、セカンドオピニオンを聞く前から決めていたことを話した。

「少しでも生存率をあげたいと思っています。そのためには今の病院ではなくて患者数が多く経験豊富なT病院に転院するのがいいと思っています。」

O医師は謙遜なのか戸惑ったのか、「いやーそれはわからないですが」と切り出したが、最終的には「こちらで引き受けましょう。」と言ってくれた。

ここ2週間、ずっと緊張しっぱなしで宙に浮いていた心が、初めて柔らかいソファーの上に降りてきた。そんな感覚だ。
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セカンドオピニオン vs ストーマ

(このブログに登場するすべてのイニシャルは実在の人物や組織を指すものではありません。)

“肺への転移は複数個ないかもしれない。手術できるかもしれない。セカンドオピニオンを受けるべし。”

メールにはそのように書いてあった。不安でドキドキしていた胸が高鳴りはじめる。

病棟のエレベータホールですぐに叔父に電話をかけた。

電話をかけるとすぐに叔父は話し出した。

「知り合いの外科医と画像診断師に検査データを見せて話を聞いた。どうやら今の大腸がんは外科手術が第一選択になっているらしい。転移していても切除できるのであれば切除してしまう。そして画像を見てもらったが、もしかすると肺への転移は複数個はなくて、手術でとりきれるかもしれない。その画像診断師さんのいるT病院でセカンドオピニオンを受けて、抗がん剤治療か手術か決めよう。」

よかった。まだ治療法を探ることができる。さらに、T病院といえば大腸がんの手術件数でも上位に入る病院であった。僕は安心した。

叔父「あと骨盤への転移はなかった。」

僕の頭にクエスチョンマークが現れる。

叔父「いや、骨盤周りが痛いといっていたから、もしかしたらと思ってね。骨盤が痛くて病院にいったら大腸がんが見つかったんだろ?」

僕「その件で病院に行ったのは結構前の話で、多分この件とは関係ないと思います。今はそんなに痛くないですし。」

叔父「なんだ。そうか!じゃあいいのか。いや骨に転移していたら手術ができないからと心配していたんだ。」

なるほど、告知日の時に叔父が前立線炎の症状をやたらと気にしていた訳がわかった。

前立線の話はおそらく両親から話をされたのだろうが少々誤った伝わり方をしていたようだ。

そういえば、従姉妹が連絡して来てくれた時も、実は僕のがんがどこの部位かわかっていなかった。普通どこの部位のがんかは伝えるだろ、と。

そして母親や父親とがんの話をしていても、なんとなくあまり分かっていないところがあるのを常々感じていたのだ。旧態依然としたがんのイメージに支配されているというか・・・。

ここに”家族から発信されている情報がなんだかあやふやっぽくあまり理解していない疑惑”が浮上したのである。

家族のサポートはとてつもなく大きいのは変わりはないのだけど、やっぱり治療に関しては自分がしっかりしないといけない。そう強く思う出来事であった。

さて、セカンドオピニオンといってもすぐに予約が取れるわけではない。そして、そうこうしているうちに人工肛門(ストーマ)の手術日も迫って来ていたのだ。

その日、手術の予定日は1週間後に決まったのである。そして早速夕方に、ストーマ手術の説明会が設定された。

セカンドオピニオンの予約には主治医の紹介状が必要であったため、まずはそれを依頼することからはじまった。忙しい主治医を捕まえるだけでも厄介なのだが、治療に合意したあとにやっぱりセカンドオピニオンを受けます!と宣言するのも非常に心苦しい。

いずれにせよ、紹介状がないと予約できないようなので、予約は明日以降となりそうだった。

夕方、両親と一緒にストーマの手術説明を聞く為、担当外科医のK医師を待っていた。K医師にはまだこの時点ではまだお目にかかったことはない。

ストーマをつける目的は、狭窄を起こしている大腸と小腸を切り離し、小腸にストーマを接続して栄養を口からとれるようにすること。

ただ叔父の推奨は、ストーマを使わないバイパス手術であった。大腸と小腸を切り離し、がんの部分を迂回して、小腸と大腸をつなげ直す、というものである。

そうするとストーマの管理の必要もなく、かついままでとほぼ変わらない生活を送れるので負担が少ない、というもの。リーズナブルな提案だったので、バイパス手術の可能性をK医師に聞いてみようと思っていた。

ところがそのK医師、約束の時間を過ぎても一向に現れない。

夜も遅くなり、今日説明があるかどうかもわからないと思い、両親を家に帰した。

夜9時を過ぎて、やっとK医師が病室に顔を出した。どうやら緊急ではいった手術に追われてしまい時間が押してしまったようだ。

K医師は35歳前後で、ラグビー部のようながっしりとした体格の外科医だった。髪型には本人のこだわりを感じ、白衣を脱げば高級車を乗り回していそうな雰囲気のいけすかなさを感じる(私見)。

そのいけすかない(私見)K医師と、6名も入れば窮屈に感じる会議室に入った。テーブルを挟み互いに向かい合って座り、K医師は僕のがんの状態とストーマの手術の手順について、紙に書きながら説明を始めた。

わかりづらい説明ではないが、どこか面倒くささを感じさせるような口ぶりであった。

それにしても医師の言葉にはドキッとさせられるものもある。安易に楽観的なことは言わず、考えうる悪い状況もきっちり説明してくる。そして、なんだかこの医師に言われるといつもと違いムカムカしてくる。

そんなちょっとしたムカムカは顔には出さず、僕は2つの質問を彼にぶつけた。

1つめは、当然バイパス手術の可能性である。K医師の答えはこうだ。

「バイパス手術はお勧めできない。なぜなら腫瘍がなくなったあとバイパスを作った箇所の再利用ができなく、結果的に多くの大腸を切除する必要があるからだ。それはその後の クオリティオブライフを落とす。」

今考えると、上記の説明は必ずしも正しくなかった。これはセカンドオピニオンのパートでまた説明したいと思うが、この病院の姿勢と大きく関わっているように思う。

2つめ、ストーマ造設の手術の際に、腫瘍が十二指腸に浸潤しているかどうか見てもらいたい、と聞いた。腫瘍が十二指腸に浸潤していないのを確認できれば少なくとも、原発巣は切除できると思ったからだ。

ただK医師曰く、大腸の裏側にある十二指腸の状況を見ることは無理であろう、とのことだった。

K医師は説明を終えると、説明を記載した紙に僕のサインを求めた。”インフォームドコンセント”というやつだ。病院側が患者にキチンと説明しましたよ、と証明するための書類である。

インフォームドコンセントが必要なのは分かるが、すっきりした気持ちでサインする気にはなれなかった。やはりストーマ以外の選択肢はないのかという少しの落胆と、なんとなくK医師を信頼することができない自分がいたからだ。

K医師の説明から、今後の僕の大腸がんに関する外科手術は全てK医師が担当することが分かった。当然彼だけではなく、彼の所属している外科チームが治療に当たることになるのだろうとは思う。

しかし、彼の若さ(経験の少なさ)と彼の患者に対する接し方に不安を感じた。もうここは直感である。

この晩僕は、治療法が変わらなかったとしても、セカンドオピニオンを受けるT病院に転院しようと心に決めた。

翌日の朝、主治医のYさんにセカンドオピニオンを受ける旨と紹介状の作成を依頼した。表情の読めない人だけど、本当に少しだけがっかりした顔を見せた。ただ、紹介状の作成にすぐに取り掛かってくれた。僕のがん治療にすぐにとりかかりたいY医師の気持ちを改めて感じた。

紹介状を書く約束を取り付けた数時間後、母親からセカンドオピニオンの予約が取れた旨の連絡が入る。セカンドオピニオンを受け持ってくれるのはT病院のO医師。

僕はその医師を知っていた。なぜならこのO医師、よく本やウェブの記事で大腸がん治療で有名な外科医としてとりあげられる人物であったのだ。T病院だけでも大腸がん治療に関する経験は豊富なのに、その中でもO医師を引いた。何かを感じずにはいられない。

そのセカンドオピニオンは6日後に決まった。そしてそれはストーマの手術の日と同じ日。当然ストーマ造設手術は延期することになるのであった。
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コラム:がんと向き合う為のおすすめ情報源

僕はがんの情報収集が本当に怖かった。なぜなら時にくじけそうになるようなことを目にすることもあるから。でもそのくじけそうなことの隙間に希望はあると思っているし、やっぱりそうだったというのが僕の実感。

当たり前かもしれないが、僕は、医師、医療機関からの情報をメインに、大腸がんに関する基本的な知識をつけた。

あとメディアからの情報だけでなく、疑問に思ったことは主治医にも積極的に質問するようにした。主治医は例外なく忙しくて時間を取ってもらうことはなかなかできないから病室へ顔出してくれた時とかに、パッと質問できるように、自分で調べて疑問に思ったことをノートにつけておいた。

患者さんが出版している本からは彼ら/彼女らの経験談からがん治療に対する心構えや考え方を参考にさせてもらった。著者の主観的な情報だったとしても、著者が物書きのプロだったり、編集のプロを媒介している為コンテンツとしてまとまりがあって腹落ち感を得やすいものが多いと思う。

手軽に様々な情報に触れられる個人のブログは、編集のプロが絡んでいない分情報の質はまちまちではあるけど(無論このブログも!)、主に化学療法の副作用がどのようにでているか、手術後どのような状態がどのくらい続くのか、など実際の治療の副次的な部分の情報を集めるのに役立った。

そして最後に、周りの人に自分のがんの話をすること。これはかなり重要なのではないかと思う。全員に話す必要はないけど、がんに罹患したことを話すと、”無条件に助けるモード”に入ってくれる人が多いと思った。特にがんの苦しさを身近で感じたことのある人ほどそうなる傾向にある気がする。

皆それぞれがんの治療方針に対して意見があったりするので、意見を収束させるのが難しいこともあるかもしれないが、僕の場合は会社の同僚から有名ながん専門病院の医師の紹介の申し出があったり、取引先の人から”とある民間療法”で有名な医師の紹介の申し出があったりと、結局その時は断っているのものの、治療の可能性を広げることのできる情報がもらえた。

特に、そのとき紹介のあった民間療法は、西洋医学でお手上げになったときは絶対行こうと思っていたし、今もそう思っている。

さて、ここからは具体的にお世話になっている(いた)情報源を紹介していこうと思う。(アフィリエイトっぽいのはご愛嬌)

ちなみに入院中はKindle(キンドル)という電子書籍用端末が非常に役に立った。Wifiがあれば買いたい本がすぐにダウンロードできるのと、スマートフォンと違って目が疲れない(ブルーライトが少ない)のでおすすめである。

——-

■大腸がん(最新医学)

本編でも紹介している本。治療の前後の情報も抑えられる大腸がん治療の教科書。

■がんサポート

最新の大腸がんの医療情報が掲載されているウェブサイト。情報更新頻度は少ないけど、希望の見える情報ががんの部位別に見つけられる。

https://gansupport.jp/articles/colon

■治るという前提でがんになった 情報戦でがんに克つ

これも本編で紹介している本。がん体験談の金字塔(私見)。著者である高山さんのがんに向かう姿勢はとても参考になったし、僕自身を救ってもらった。

■大学教授がガンになってわかったこと

大腸がんとすい臓がんに罹患した山口仲美教授が、医者との付き合い方など、患者に役立つ知恵を授けてくれる。教授の軽快で明るい語り口にぐいぐい引き込まれる。

■がん患者

鳥越俊太郎氏の著書。大腸がんステージ4からの生還を成し遂げた軌跡が描かれている。彼、実は何回もお腹をきっている。これを読むと、切除すればいいんだろ!切除すれば!って思える。読むとなぜか安心するので4回くらい読んだ。

■抗がん剤が効く人、効かない人

抗がん剤に関する理解が深まり、もしかしたらあなたの抗がん剤に対する考えが変わるかもしれない。著者の長尾医師の本はいくつか読んだが、いつも思いやりがあり優しい。

■がんになって、止めたこと、やったこと

がんにならないために、がんを治すために、がんに対する理解を深めてくれる本。生き方を変えようと思えた。

■Google Scholar

学術論文の検索エンジン。一般的に情報の少ない癌種や新しい化学療法の情報を集めるのに役立つはず。

普通の大腸がんであればこのサービを使わなくても十分情報は集まると思う。僕の場合は、本編で今後登場してくる希少な”あるもの”について調べるのにすごく役立った。

そして希少な情報になればなるほど、日本以外の国の論文を含めた方が情報に当たりやすい。なので英語の論文を検索するのが良いかなと思う。

ただし、英語の論文を全部読むには英語力、慣れ、時には多少の統計的な知識が必要になるから敷居が高いのが難点。

でも英語に抵抗がないのであれば、各論文のリンク先のAbstract(あらすじ)だけでも読むのをおすすめする。そこには各論文のイントロから結論まで簡潔に書いてあるので、全文を読む必要はないのだ。

最新研究という点から、できるだけ新しい論文に目を通すのがいい。検索時に年代フィルターをかけると探しやすい。

一つの論文の結論にとらわれず、いくつか似たような研究結果を読んでみて自分なりに考えをまとめるのが正しい使い方だと思っている。

https://scholar.google.co.jp

■番外編:今あるがんに勝つジュース

いわゆる食事療法の本。がんの再発予防に役立っているかどうかはよくわからないのであるが、術後3ヶ月間1.5L程度のジュースを毎日飲み、その後も毎日500ml程度飲み続けている。すると、子どもの頃から背中に広がっていた黒っぽいシミたちが消えて、肌が綺麗になったのだ!!(気付いたのは5ヶ月後くらいかな)

うん、がんとは直接関係ないけど、がんになる前は栄養状態がよくなかったんだろうなと感じたのでした。


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怒りのCVポート

叔父の知り合いの画像診断師からのフィードバックを待つ間も、ちゃくちゃくと治療の準備は進んでいた。

この病院でいいんだっけ?という疑問は抱えつつも、一旦治療方針は合意しているし、結局治療方針は変わらないかもしれないし、一刻も早く治療しなければという主治医の意志をひしひしと感じていたこともあり、治療を止める必要性は感じていなかった。

少し時を遡るが、告知日の次の日くらいだろうか。主治医から今後の治療スケジュールを聞かされていた。まずは早い段階でCVポートを右の鎖骨らへんに埋め込み、それから、外科医の予定にもよるが、人工肛門(ストーマ)の手術を1−2週間以内に行う、とのことだった。

CVポートとは、化学療法をする際に埋め込まれることがある医療機器である。鎖骨の下あたりの皮膚に、親指の第一関節くらいの大きさのポートを埋め込む。そしてそのポートから伸びているカテーテルを心臓の近くの太い静脈に通すのである。

心臓近くの血管は、腕の血管より太いので抗がん剤をいれても血管が痛くならないらしい。確かにビーフリードのような栄養剤の点滴ですら、腕が痛くなることがある。抗がん剤だともっと痛そうだ。

CVポートは簡単な手術なので、すぐに予約が取れるとのこと。その言葉通り、丁度叔父に検査データを送った次の日、早速手術室へ招待されることになった。

僕にとって生まれて初めての手術なのである。しかも、部分麻酔なのである。正直、全身麻酔にしてもらったほうがうれしい。

手術前、なぜか車椅子に乗せられ手術室まで押されていった。僕の顔がこわばっていたのか、看護師さんから、30分くらいで終わるから大丈夫、的な励ましをもらった。30分だったらまあ我慢できるかもしれないなと少し安心した。

手術室に入る。なんと、簡単な手術をする割にはドラマで見たことある機材が勢揃いしているではないか!(多分)一気に緊張が高まる。

手術室のど真ん中にあるベッドに寝かされる。頭上には大きな可動式のモニターが備え付けられている。ベッドの周りは、これから体の中に寄生しているエイリアンを取り出すのかと思うほどの重装備で固められている。

簡単な手術って言ってたじゃん!と、もうちょっと泣きそうである。

手術室に続々と人が入ってくる。記憶にある限り、女性の看護師さん3名と30代くらいの男性の医師が1名の計4名だった。

「では準備始めますよ」看護師さんに手術着の上半身を脱がされ、顔は大きな紙のようなものでふわり覆われた。手術部位を見ることができないのは救いであった。

「それでは始めます。」医師が言う。

すると、右の胸にお好み焼きソースを塗るようなハケで(多分)、冷たい何かが無造作にぬられた。多分消毒液だろう。その後麻酔を注射された。体に力が入る、いよいよ始まるのだ・・・。

– 流し読み推奨 –
電気メスのようなものがバチバチと音を立てている。皮膚が切られた感触がある。「体の力抜いてくださいね」何度も医師が言う。「はじめてなので緊張してます。」何度も僕は答える。ポートが埋め込まれる。ググッと何かを皮膚の中に押し込んでいる。そこまで痛くはないが嫌な感覚がある。カテーテルが血管の中を通っている感触がある。いままさに血管の中を通っていますよっていう感覚がする。鼻の穴に細い管をつっこまれたような感触を血管で体験しているとでも言えばいいのだろうか。少し痛い。僕「なんか痛いです。」医師「もう痛いのは仕方ない、慣れてもらうしかない。そのうち慣れる」な・・・慣れってことは、結局は手術後もこの鼻の穴に細い管を入れられたような感覚を心臓に近い血管でずっと感じていないといけないのか!!僕は術中に絶望した。ただ結果、そんなことは全くなく手術後は全く血管にカテーテルが入っている感触はなかった。緊張状態が全くとれない僕、それを見越してか看護師さんがもう半分終わりました、といった言葉を投げかけてくれる。ここまで体感20分くらい。あとは最後の仕上げだけだ。カテーテルを血管に通したあと、紐のようなものを鎖骨にくくりつけている感触があった。医師の指が鎖骨の裏側に入ってくる。そしてくくりつけるだけなのに医師が苦戦しているのを感じた。状況は見えなくとも、裁縫道具の針に糸を通すのがうまくいかない、それに似た苦戦の仕方であった。暖かい液体が首を伝う。おそらく自分の血。これはいやーな感じだった。

・・・

とまあ上記のようなプロセスで手術は進んでいったのだけど、縫合のときに事件は起こった。

鎖骨に紐をくくりつけ、「よし、もう少しですからね。」と医師がいい、傷口の縫合をし始めた。

皮膚と皮膚を縫い合わせる感覚が麻酔というフィルターを通して伝わってくる。気持ちが悪い。羊たちの沈黙という映画に登場する人間の皮膚で服を作る変態のことを思い出す。

医師の手が鉛筆で文字を書く時のように僕の胸の上に置かれた。おかしい。術中初めてのことである。そしてその手には力が入っているのを感じる。

「あれ?」

「んー」

「すーー」

と、医師の心の声が明らかに彼の口から漏れ聞こえてくる。不安が確信に変わった。

こいつ、困ってやがる。

そうなのだ。傷口がちっとも塞がれないのだ。縫い始めても傷口が開きすぎていて途中で縫合することができない。それを何度も繰り返しているようだ。

ちょうどカバンに物を沢山入れすぎてジッパーが最後の最後閉まらない、そんな状態に似ていた。(というのを右胸の感覚で感じていた。)

縫合を始めて20分くらい経っただろうか。縫合前の「よし、もう少しですからね」が完全に嘘と化した。

この状況を見かねてか、次の手術が詰まってしまっていたからか、急に野太い声とともに手術室にだれかが入ってきた。

「何やってるんだ、ちょっと見せてみろ」

明らかに手術している医師の上司らしき人物であった。緊張が高まる。一体何が起きているんだと。

「いや・・・ちょっと・・・」

手術をしている医師が言葉を詰まらせる。

すると上司らしき人物は僕の傷口をぐいっと指でつまみ、力強く縫合していく。正味数分のできことだ。

傷口の縫合は終わった。これで一件落着、、、ではない。

車椅子に乗せられて病室へ帰る途中、僕はとてつもない不安に襲われたのである。縫合の一つ二つできない医師に僕は心臓近くにカテーテルを通されたのか、と。

まさか簡単な手術が故、ぺーぺーにメスを握らせたのではないだろうか。

思い返せば、縫合以外のところでもモタモタしているところがあった。鎖骨に紐を結びつける作業とか!そういえば、30分で終わる手術なのに、時計を見ればもう1時間半以上経過している!!

なんだかもやもやした気分のまま病室へ着いた。そして一息つく間も無く、次男が病室へ駆け込んできた。

「メールを見たか!すぐに叔父さんに電話しろ。」

CVポートの件が頭から吹き飛んだ。
僕は叔父の知り合いの画像診断師のフィードバックが来たことを確信したからだ。そして次男の焦っている様子を見て、すごく不安になった。

「今手術から帰って来たんだからメールなんてみてるわけねーだろ!!」不安がそのまんま口からでた。

メールを見る。叔父に電話しなければ。
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