がんと向き合う方法:前編

「他の検査を見る限りいまのところ他の臓器に転移は確認できていませんが」

主治医のY医師は僕の愕然とした様子を察したのか数秒後にこう言った。しかし、それはがんに向き合う覚悟ができていない僕には何の慰めにもならなかった。

検査が終わるとベッドを移され、待機室のようなところへ運ばれた。鎮静剤の効果が持続していたため、歩いて病室へ帰ることはできず、入院病棟からの迎えを待つ必要があったのだ。

15分ほどで迎えが来ますという言葉を残し、僕を運んでくれた看護師さんたちは去っていった。仰向けに寝かされた僕、その時の待機室の白い天井が印象的だった。鎮静剤が今ごろ効いてきたのかと思うくらい頭の中がぼやけていて、天井がぐるぐると回っているのだ。そして、嘘だ、ありえない、なぜ僕が、そんな言葉が頭の中でずっと鳴り響いていた。

それからどのくらい時間が経っただろう、15分という時間はとうに超えていたと思う。僕はイライラし始めていた。なぜなら早くこのことを家族に伝えないといけない、という衝動に駆られ始めていたからだ。恐らく、少しだけ現実に向き合うことができてきたからだと思う。

ようやく入院病棟の看護師さんたちが現れた。キャスターの着いたベッドに寝たまま入院病棟へ運ばれた。検査室へ向かう廊下、さっきまで自分で歩いていた廊下を、仰向けになった状態で通過して行く。なんだか重病人感が増す。

部屋に戻る。携帯電話は部屋のセーフティボックスに入れてあった。担当看護師さんから鍵をもらい、携帯電話をセーフティーボックスから取り出すと、すぐに実家に電話をかけた。しかし、繋がらない。数分後にかけても留守のままだ。

そこに主治医がやってきた、先ほどの内視鏡の検査の結果を改めて話し始めた。

腫瘍が大きく、狭窄をおこしていたためカメラが途中までしかすすめず、全景はわからないが、進行癌の可能性が高いとのこと。そして他臓器への明らかな転移は認められないが、先日の上腹部CTの結果を見ると肺に微小な白い影があるとのこと。

話を聞きながら、目に涙が溜まるのを感じた。

“さっきまで転移はないって言ってたじゃないか!”

この人の前で泣いてどうなるものでもない、そう思い涙は流さなかった。

3日後に最終的な診断結果と治療方針を家族にも説明したいと告げ、Y医師は病室をあとにした。母親に報告しないと、と数分おきに何回もかけるがやはり出ない。焦る。そしてこれは、今すぐに母親に電話しないといけないという焦りではなくなり、今すぐ母親の声がききたいという焦りだと感じ始めていた。

しばらくは仕事にも手がつかなくなるだろうし仕事でも迷惑をかけることになるだろうから上司にもこの状況を伝ないと、と電話をかける。最初は冷静に切りだしたのだが、上司の声を聞くとすぐに声が震え始めた。

仕事のことは考えず、自分のことに専念してください、きっと治る。復帰する段取りも作るから。という励ましをもらった。僕は、はい以外言えなかった。それ以外の言葉は発すると心のダムが崩壊する、そう感じたから。

その後またすぐに母親に電話した。今回は、出た。もしもしという僕の声を聞き、母親が、あんた風邪ひいてるでしょ?と一言。すでに鼻がグシュグシュになっていた。違う、落ち着いて聞いて、という言葉がすでに震えている。分かった、母親の返事が力強い。覚悟したのだろう。

そしてこれまでの経緯とがんの可能性を伝えた。母親は動揺を見せなかった、そして冷静に話をしだした。まず、若いしまだがんは治るということ、母親のお兄さん(叔父)が元消化器外科の医者であるため相談してみること、そして他の親類に母親が連絡するということ。

母親の声はその間ずっと力強かった。そうえいば僕の母親は病気による修羅場を幾度もくぐってきた人間だ、ということを思い出した。

そして、叔父が医者だったということも思い出した。

母親への連絡をひとまず終了し、部屋に戻り、今日の出来事を反芻した。

本当にこれが現実なのだろうか。そう思わずにはいられないくらいリアリティがない。

いずれにせよ貴重な機会だ。これまで起きたことを書きとめておこうとパソコンを開いた。

自分の気持ちを含め振り返りながらタイプしていると、ふと母親の力強さを思い出し涙が溢れてきた。そんな時、部屋のカーテンの仕切りの下から若い男が履くスニーカーが目に入った。僕の名前を呼ぶのぶとい声、それは次男だった。

涙を拭き、落ち着いて今の状況の話を彼にした。部屋で話をしているのも周りの人に迷惑なので、場所を変える。

母親と叔母も病院に向かっているとのことで、1階のラウンジで待つことにした。しばらくすると母親と叔母が小走りで現れた。皆の顔に悲壮感のようなものがないのは僕にとっては救いだ。

しばらくすると長男もきた。(ちなみに男3人兄弟である)皆に状況を話す、長男が一番冷静だ。彼としては今何か騒ぎ立てるよりも。3日後に出る診断結果を待ってそれを受け入れることが重要だ、といった考えを彼の言葉から感じた。確かにその通りだ。

みんな帰り、病室に戻ると急に抜け殻のようになってしまった。何も考えたくない、そんな感じだ。

彼女への恋しさからメッセージを送りあった。彼女も気丈に振舞ってくれているんだろう、前向きな言葉を投げかけてくれる。これが彼女のいいところなんだ。

絶対、いままでの生活を取り戻す、強く思った。正気が戻ってきた。

今まで普通の生活を送ってこれたことがどれだけ幸せなことか、それをしみじみ感じる。多分これは人に言ってもわからないだろうと思う。そう感じた当人だけが分かる感覚なんだろう。がんがもたらした唯一の良い点なのかもしれない。

それにしても悔しいしやるせない。丁度自分のキャリア転換を考えていた矢先の出来事だったからだ。今回の一件は僕にとっては岐路だ。まずは助かること。しかしがんは大なり小なり一生自分の人生に付きまとうだろう。その中で、自分はおそらく、長期的なビジョンというよりは、短期・中期的な目標に向かって駒を進めたほうがいいのかもしれないな、そんなことを考えていた。

まあ、もともと長期的なビジョンがなかったのだから丁度良い。いずれにせよキャリアを転換することは置いておいて、現職に復帰し、中途半端にしてきたものを整理して、再度全力でプロジェクトに取り組もう。

今までの人生に自分を”戻す”ことが目標になった。

不思議なことに、今まで散々僕を苦しめていた腹痛がもう夜にはなくなっていた。この腹痛はそもそも僕にがんの存在を知らせるために、体が発していたものだったのかもしれない。役目を負え、痛みは去った。実はいいやつなのか。そう考えると、なんだか僕も助かるんだろうなと思えた。

しかし、不安になるのは不安になる。だって僕の展望とは裏腹に全てが進んでいくんだから。

その時は3日後以降の未来が考えられなかった。3日後の話が自分のこれからの未来を映し出す。そして僕はその未来をもっと高みに持って行く。これは僕に与えられた試練、乗り越えて前に進むしかしない。

その日の夜はあまりよく寝られなかった。見る夢といえば、怖い夢が多くて、途中で何度も起きた。夜勤の看護師さんの声や同室の患者さんが出す物音が恋しくて、いつもはつけてる耳栓をせずに寝ていたことも関係あるのであろう。

物音が恋しい、一人でいることの孤独が怖いんだろうと思う。もしかすると誰かが自分のベットで添い寝してくれていると安心感が増すのかもしれない、なんて考える。うーむ、驚くべき変化だ。いままで一人でいることにこの上ない快適さを感じていた人間なのに。

診断が確定するまで後3日、自分にとってはやっぱり来てほしくない日で、時間がゆっくり進めばいいのに、とベットの上で思っていた。

 

翌日、不安な朝、高校の入学式の朝を思い出した。今の状態に比べればなんてことないことなのだけど、当時は知り合いが一人もいない新しい学校に馴染めるかどうか不安になっていたなと、その時の思考とすれ違う。

でもやはり入学式なんかとは違う。そもそも今自分に起こっていることが現実だとは思えないのだ。意識がぼんやりしている。正に夢をみているかのよう、という感覚はこういうことなのだろう。

そんな思考のままベットの上でため息と共に過ごしていると、従姉妹からLINEが入ってきた。どうやら母親から話を聞いたらしい。彼女は実の従兄弟の奥さん。出版社に勤めるエネルギッシュな編集者で、いつも楽しい雰囲気を作ってくれる人である。そしてこの彼女の助言により、がんと向き合う決意がみなぎることになるのだ。

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