大学病院で検査なんて生まれて初めてだった。それにしても他の病院から紹介状がないと基本受け付けません、といったシステムは新鮮だ。(正確にいうとお金を払えば誰でも診てもらえるようです。)
そりゃー、ほっといたらみんな大きな病院で最初から見てもらいたくなるもんね。大学病院の前に、まずは町医者で対処・スクリーニングするこの医療システムは面白いなー、と無学丸出しのまま、お昼前に大学病院の門を叩いた。
紹介状もあってか思っていたよりスムーズに診察室に通されると、S医師の知り合いの少し気の弱そうな青年、K医師から簡単な問診があり、K医師からは憩室炎の疑いと憩室炎の場合は入院の可能性がある、と告げられた。
憩室炎を治すために食事を1週間ほど断って腸に刺激を与えないようにする必要があるらしい。仕事のプロジェクトが佳境に入っている中困るなー、くらいにしかその時は考えていなかった。
まあとりあえず検査の結果を見ましょう、ということで、その日の午後に造影剤を使った下腹部のCTと、レントゲン検査の予定を組んでもらい、憩室炎の可能性があるからお昼は食べないようにと、忠告を受けた。
しかし、僕は医師の忠告を無視することにした。
食べることが好きな僕にとっていきなりこの時点で一週間の断食スタート!なんて耐えられないし、今日から始めようが明日から始めようが大して変わらん!というのが当時の考え。
光の速さでその結論に至った僕は、診察が終わると迷うことなく病院の外に出て、某チェーン店の大盛りのカレーを口にかきこんだ。
これから1週間何も食べられない最後の食事にカレーは理想的ではなかったのだけど、病院周りに適当なお店がなく渋々最後の晩餐としてカレーを楽しむことにしたのだ。
これが1ヶ月半の断食生活に入る前の最後の晩餐になるとはその時は知る由もなかった・・・。
食事を終え病院に戻ると、憩室炎と決めつけていた僕は、会社の上司に仕事の話のついでに入院するかもしれない旨の連絡をした。彼女は少し驚いていたが、また正式に決まったら教えて、と言われ電話を切った。
レントゲンはともかく、CTで原因がわかって治療ができて腹痛が治るってことを単純に考えていた僕はワクワクしながら検査室の前で順番を待っていた。
順番を待っていると検査室からひょこっと現れた看護師さんから書類を手渡された。目を通して内容に同意して欲しいらしい。ただ、書類には恐ろしいことが書いてあった。
簡単に言うとこうだ。
『造影剤による副作用であるアナフィラキシーショックなどでごく稀に死ぬことがありますが了承してくださいね。』
死と隣り合わせになったことのない僕にとって、書類の内容は衝撃だった。
この時はさすがに同意のサインするのに少し躊躇したものの、これを皮切りにこういう類の書類が事あるごとに登場し、同意のサインがただの流れ作業になっていったのではあるが・・・。
でも、後日登場する麻酔科医Sさんの患者を安心させる麻酔の副作用の説明はさすがだったなあ・・・この話は後ほど。
さて、名前を呼ばれ検査室に入ると、テレビで見たことのある円形の機械が部屋の真ん中に置いてあった。造影剤の副作用の恐怖にドキドキしながらCTを無事撮り終え、朝の診察室の前に戻り、検査結果の説明を待った。
1時間ほど経ったであろうか、診察室へ呼ばれると朝とは違う医師がパソコンの画面を見つめていた。
なぜ朝の気弱そうなK医師ではないのか、わからなかったのだが(これは今だによくわからない)、その40代くらいの医師は眉間にしわを寄せ、険しい顔をしている。
もともと険しい顔をしているのか、検査結果の具合が悪いから険しい顔をしているのかわからないそのM医師は、多分CTの画像を見せながらこう切り出した 。(”多分”というのもここらへんの話はちょっと記憶が曖昧になっている部分があるのだ。)
「悪性腫瘍の疑いがあるので、精密検査の必要が出てきました。」
悪性腫瘍の疑いと最初に聞いたときは、まだ僕には余裕があったという感覚は残っている。しかしのその余裕に次の言葉が突き刺さった。「奥様はいますか?ご両親やご兄弟はこちら(東京)にいますか?」「今後病院に来て話を聞いてもらう必要もあるかもしれない。」
病院に来て話を聞く必要?
悪性腫瘍の疑いは僕の中でリアルになった。
心臓がドキドキし、手が震えている。頭がぼーっとしている。嘘だろ。嘘だろ。そんな言葉が頭に響き渡っていた。
『今日入院してもらうけど大丈夫ですか。ベッドの空きを調べます。この後看護師から説明があります。とりあえず次は心電図をとります。』といったことをM医師が話してたけど、頭に入ってこない。
とりあえず心電図をとりに行くことにした。体にタコのような形をした冷たい吸盤をペコペコつけられ計測されたのだが、心電図をとる意味もわからないし、そもそも今心臓がドキドキしている状態で、心電図とって意味あるのか?と怒りを感じた記憶がある。あの時は、静かに自分の頭を整理する時間が必要だったんだと思う。
そんな気持ちとは裏腹に、病院は迅速に入院の準備を進めていた。
心電図をとり終えると、看護師さんから呼び出され、ベッドが空いていること、差額ベット代というものが数千円かかることの説明があり、着の身着のまま病室へと連れて行かれた。
このまま収監する算段らしいことは明らかだった。
消化器内科のフロアに通され、4人部屋の廊下側のベッドが僕にあてがわれた。想像以上に狭い。だけどこのベットの空間は、昔から狭い空間が好きだった僕にとってその後なかなか快適なものになっていった。
ベッドに通されると、一人の看護師さんが顔を出した。明るい印象で人を元気にする雰囲気を持ってる人だった。どうやら今日の僕の担当らしい。『担当はM先生ですね、M先生、私は好きだなあ』と乙女のような可愛いことを言う看護師さん。
僕の顔に不安が出ていたのであろう、入院生活のことを一通り説明してくれたあと、『入院理由は悪性腫瘍の疑い、まだ疑いですからね』と”疑い”を強調してくれた。少しだけ救われた。
気持ちが少し落ち着いた僕が、家に一度荷物を取りに帰りたい旨を伝えると、快く医師に確認することを約束してくれた。
しばらくすると、ドラマ”北の国から”の純に似たY医師が部屋を訪れた。40歳前後であろうか、なかなかイケメンだが感情が全く読めない医師だった。どうやら、僕の主治医はいつのまにかM医師ではなくY医師になったらしい。(これも今だによくわからない)
ボソボソと話すY医師から簡単に今の気分やお腹の痛みについて聞かれた後、外出の許可を無事得た。
ここから電車で40分くらいの距離にある家に帰ったのだが、どう帰ったか記憶にない。ただ、家の扉を閉めた途端に声を出して泣いたことは覚えてる。自分に降りかかる恐怖を吹き飛ばすように声をあげて数秒間泣いたんだ。この時はまだがんに関して知識がなかったし、イメージとしての恐怖しかなかったから。
病院に戻った時には、すでにあたりは暗くなっていた。旧病棟と新病棟をつぎはぎした病院はまるで迷路のようで、夜になり外からの景色が一変したことも相まって、方々迷いながらやっと入院病棟の入り口を見つけた。
病棟を見上げ、朝ここに着いたときにはまさか夜をここで過ごすとは夢にも思ってなかったなあ、とふと思った。病室に戻り一息ついてから、入院する旨を会社の上司と恋人に報告した。
どういう報告をしたか、記憶は曖昧だけど、悪性腫瘍の疑いのことは言わなかったと思う。あと、親には報告をしなかった。余計な心配をかけたくなかったし、何かがわかってから報告しても遅くないと思ったからだ。
その夜、家から持ってきたパソコンで、病気のことを調べ始めた。今自覚している症状から、大腸がんでは”ない”可能性を探るある種のエゴサーチの始まりであった。