抜糸。いや、抜ホッチキス

2回目の手術が終わり3週間を迎えようとした頃、ようやく退院の目処が立ってきた。当初は大腸がんの手術後10日程度で退院できるはずだったのだけど、やはり手術というのはなにが起きるかわからないもの。

そう考えると、入院案内の連絡が入院前日にくる、という病院側の対応も致し方ないのかなと思う。

入院生活といえば、食事も本格化してきおり、お粥と共に煮魚やマカロニサラダなども出るようになった。お粥というところに不満を感じるが、味は悪くなく、少なからず食事は入院生活の楽しみになった。

当時の日記を振り返ると、この時僕の便は更にグレードアップを果たしていたようで、退院直前にはバナナ色の巻きう○ちが出てきたらしい。インターネッツを駆使して調べるかぎり、最高の状態の便である。(ちなみにこの時は、整腸剤のビオフェルミンRを飲んでいたというのもある。)

流石に術後3週間経つと、体も元気になり、病室が息苦しくなる。なので病院を抜け出し外を散歩する、という芸当もしていた。

娑婆で階段を見つけては、お腹の痛みを感じながらも弱り切った足腰を鍛えるべく、果敢に昇降を繰り返す。術後2週目くらいから始めた非公認リハビリは、免疫力の低下中の僕にとってはリスクがあったが、10キロ以上も減少した体を本来の姿まで取り戻し、一刻も早く”普通の生活”に戻れるようにと焦りを感じていた僕には必要だった。

お腹の傷は痛かったのだけど、お腹を真っ二つに切られた人間が、2週間後には歩行可能になるというところ、人間の体の神秘を感じた。

このお腹の傷、いつごろ抜糸したのか忘れてしまったが、外出をし始める前だったと思う。抜糸というとあたかも糸を抜きそうなイメージだけど実際は、お腹の傷口を塞いでいるホチキスの芯を抜いていくのだ。

もちろん、ホッチキスの芯だけではなく、糸でも縫い付けてあるのであるが、この糸は体の中で溶けていくため抜糸は行わない。抜くのは、分厚い資料を閉じるときに学校の先生が使っていた少し太めのあのホッチキスの芯である。

ちなみにホッチキスは英語ではない。なのでアメリカ人にホッチキスと言っても通じない。ホッチキスは商品を製造していた会社の名前で、英語ではホッチキスのことをステープラーという。

このステープラーという単語がどうしても頭に入らなくて、”あのアレ、こうやるやつ”というジェスチャーでコミュニケーションをとった記憶が何回もある。そして、今でも僕の中では音(おん)的にこの商品は、”ほっち”して”キス”するという点でずっーとホッチキスなのである。

話を戻そう。学校の先生が使っている業務用のホッチキスの芯がお腹に20個くらい突き刺さっている。僕はそれを抜かれるのである。これはペインコントロールするほどの痛みではない分、痛かった。

怖くてよく見ていないが、アシスタントのN医師がペンチのような器具でひとつひとつホッチキスの芯を抜いて行く。抜いて行くたびにチクチクとした痛みを感じる。

丁度裁縫用の針で刺されたような痛みだ。場所によって、針の突き刺さる深度が違うとでもいうのか、痛みの具合が異なる。

N医師は「もう少しですよー」と言いながら抜いている。医師が”もう少し”というときは3割増しくらいで受け取ったほうがいい。「これで最後です。」と言われるまでの長い時間、僕はとにかく白い天井を見上げていた。(”これで最後です”という言葉は額面通りに受け取ってよろしい。医師は嘘はつかないのだ!多分。)

最後の芯が抜かれ自分のお腹の傷をまじまじと見る。傷口は赤く充血し傷口の両側には赤い穴が連なっている。ホッチキスの芯による穴である。このホッチキスの芯の穴の跡も立派に傷として残りそうであった。(実際残っている。)

それよりも衝撃的だったのは、おヘソの形が変形してしまっていることだった。僕はお腹をみぞおちからヘソの下まで真っ二つにきられていた。

そしてヘソの中の説明し難いあのシワが、更におかしなことになっていた。しかも僕の場合、2回同じところを切られているので変形も甚だしいのであろうか。

ヘソの中からシワが膨れ上がっており、でべそともなんとも言えない状態になっていたのであった。(結局腫れが引くとヘソの中にシワはおさまったのだが、引きつっていて以前のような柔らかいモチっとしたヘソではなくなってしまった。)

それにしても人間、安心するとそれに比例するように求めはじめるものである。当初は手術できるだけ幸運と思っていたのに・・・。人間の欲とは際限がないのだ。

 

 

さて、転院から1ヶ月、手術から19日経過したある日、ついに僕の退院が決まった。ただし退院にあたり僕にとって嫌な知らせを聞かされることになった。

以前お話ししたお腹から生えている管であるが、2本を家へお持ち帰りすることになったのだ。

その2本とは胃瘻(いろう)と腸(ちょうろう)で、念のため何かあったときに使えるよう管をぶら下げながら2週間程度日常生活を送ってくださいとのことだ。(2週間後、退院後の初外来で抜去予定ということ。)

今考えれば大したことないのだけれど、その時は、長い入院生活によって束縛された自由がやっと解放・・・・されない!というストレスを強く感じたのを覚えている。

寝返りも打ちづらし、管を医療用テープでお腹に固定しておく必要があり、この医療用テープの粘着によってお腹がかぶれてかゆいのだ。

とはいえ文句を言っても仕方がない。看護師さんから、丁寧に管理方法を教えてもらった。担当の看護師のIさんからは、本来売店で買わないといけない医療用テープやガーゼ等を分けてもらった。感謝である。

退院に向けてちゃくちゃくと準備を進めていると、退院前日の夜に主治医のO医師が手術着のまま僕の病室に姿を現した。手術着は汗で湿っていて、青い手術着がところどころ濃い青になっている。顔もどことなく険しく、まだ手術の余韻が感じられる。

実は、退院前に手術後の経過を両親に説明する約束をしていたのだが、看護師さんの手違い等で約束の時間に現れず、僕の両親があきらめ家に帰宅した頃慌てて病室に駆けつけてくれたのである。

O医師は約束を守れなかったことを謝罪した。手術の経過の説明なので、経過自体を身を以て知っている僕に話をしても仕方がない。

謝罪のあと困った様子を見せていたO医師だが、突然何かを思い出したかのように話をはじめた。

最初は何が起きたか理解できなかった。

それくらい僕にとって衝撃的なニュースが彼の口から飛び出したのであった。
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