意外とその時は早く来た。
セカンドオピニオンが終わり主治医に転院の報告をした2日後、T病院から「明日来てください。」という連絡が来た。転院したときの医師の問診でわかったことなのだけど、そこそこ緊急性の高い状態であったらしい。なので順番も早くしてくれたのだと思う。
しかし、残念ながら部屋は特別個室である。1日4万円を超える差額ベット代は非常に痛い。しかし背に腹はかえられぬ。入院しながら他の部屋でベットが空いたら移動ということになった。
差額ベット代といえば、病院を退院するときにも若干の驚きがあった。なんと、病院の入院は宿の宿泊と勘定の仕方が違うのだ。1泊2日の場合、通常の宿であれば1泊の”1”を勘定するが、病院は2日の”2”を勘定する。つまり1泊で2日分の料金を取られるのである!
転院ともなれば、転院前の病院の最後の日と転院先の病院の最初の日である”1日”はそれぞれの病院で支払いが発生する。うーむ。なんとも解せない。
という不満もありながら、僕の救世主となるT病院への転院準備を着々と進めた。
それにしても、今回大腸がんを発見してくれた今の病院(面倒なので今後F病院と呼ぶ)には、感謝の言葉しかない。というのも、悪性腫瘍疑惑から入院、それから各種精密検査までの迅速な対応は眼を見張るものがあったし、治療方針が決まってからのアクションも非常に早かった。
結局F病院では治療を受けなかったけど、医療体制がしっかりしていると感じた。
あと、看護師さんたちが素晴らしかったのも印象的であった。コミュニケーション能力が非常に高くて、できるだけ僕が前向きに生活をおくれるように気を使ってくれていた。明るい人が多くて職場が楽しそうだった。
転院の日の朝、僕はお世話になったY医師に一言挨拶をしようと思ったが残念ながら不在でそれは叶わなかった。無表情な彼だったが、いい医師だったと思う。アシスタントのT医師に挨拶をし、担当看護師で一番お世話になったMさんがエレベータまで見送ってくれた。暖かい病院であった。
転院先のT病院に着き、受付を済ますと特別個室専用のフロアへ通された。フロアの扉が開くとおよそ病院とは思えない光景が広がっていた。絨毯が敷き詰められた廊下の先には中庭があり、フロアには座り心地が良いであろうふかふかの椅子と心を癒す観葉植物が所々に置かれている。
うーん、いかにも”すごい”と言う感じで書いてみたものの、いまいち伝わりづらい。
とにかく病院とは思えないのである。ホテルで言えば4つ星くらいの雰囲気だった。
特別個室のフロアには、そのフロア専用の受付があり、いかにも気が利きそうなシュッとした品のある女性が一名いる。彼女が僕を部屋へ案内してくれた。
部屋に入っても、やはりそこはもうホテルの趣き。アメニティも充実している。一通り部屋の説明を受け、一人になり部屋のソファでくつろいでいると、看護師の女性が部屋にはいってきた。ベテラン感が滲みでている。さすが特別室、看護師も信頼できそうだ。(いままでが信頼できそうでなかったわけではない。)
特別室は部位ごとにフロアが分かれている一般病棟とは違い、様々ながん患者いるからそれなりに経験のある人ではないと難しいのかもしれないなと思った。
さてそのベテラン看護師であるが、ソファーに横たわる僕のもとへ来て、かがみこみ、目線の高さを僕に合わせて、「担当看護師のSです。よろしくね(んふ)」と、言葉になんともいえない妖艶さをまとわせ挨拶をしてきた。そういえばなんだか手つきや目つきも妖しい、気がする。
と、看護師のSさんが気になり始めた僕を横目に、彼女はクリニカルパスを説明してくれた。ちなみにクリニカルパスとは、簡単にいうと入院してから退院するまでの日程表のことである。事前の検査に関してはもう一度やり直すことも聞いた。
やはりというか、手術を行う病院が自分たちで検査を行うのはありえると思っていた。何かあった時、他の病院のせいにできないしね。
検査は、血液検査、レントゲン、上部下部の腹部CT、MRI、大腸内視鏡、胃カメラというお決まりの検査である。
早速入院初日、大腸内視鏡とCTの検査が組まれていた。前回はニフレックという2リットルもの下剤を飲用したのだけど、今回はさすがに2週間以上の断食生活を送っているため浣腸だけでいいらしい。
そしてこのS看護師、患者に浣腸をするのが好きらしい。(一体どういう情報を患者に共有しているんだ!)
「じゃあ、あとで浣腸をしにきまーす。(んふ)」
と、S看護師は頭から音符を出しながら部屋から出ていった。
しばらくすると、若い看護師さんが点滴を持って来てくれた。僕の主食である点滴はF病院退院の際に取り外されていたのだ。
さきほどの”特別個室だからベテランが—-”の件が怪しくなるくらい新人な感じであり、そしてその直感は間違っていなかった。
この看護師、CVポートへ点滴を刺すことができないのであった!
右胸に埋めてあるCVポートだが、やはり皮膚に針を刺す時少しだけ痛い。そしてこの看護師、「あれー。あれー。」と言いながら3−4回ポートへの差し込みをトライした、つまり3−4回僕は痛い思いをしたのだ。
結局、他の看護師に手伝ってもらいことなきを得たが、特別室だといっても経験豊富な看護師だけがいるというわけではなさそうである。
そんなこんなでドタバタをしているうちに、CTの検査に呼ばれることになった。最初は恐れおののいた造影剤を使用に関する同意書にもあっさりとサインをし、検査着に着替えて、検査室へ向かう。前回、特に造影剤による副作用もなかったので余裕綽々である。
検査室に着くと、CTの置いてある部屋にスムーズに通された。造影剤を右胸のCVポートから注入され、検査開始である。
CTの機械の中に吸い込まれていく僕の体。
胃の中からこみ上げてくる液体物。
待てよ、おかしい。
いや、でも、少し我慢すればおさまるかも。
あ、だめだ。
僕は体をよじりながら、検査前に右手に握らされた非常用スイッチを押した。
なんと、反応がない!
このスイッチ押したら助けに来てくれるって言ったじゃん!
スイッチを何度も押した。
どうしました?
ようやくどこからかスピーカー越しの声が聞こた。
が、もう答えられるフェーズではない。こみ上げて来ているものを堪えるので必死である。
ドアの開く音、数人のバタバタとした足音が聞こえる。
CTから抜き出された僕。体を横向きにされ、口元にビニール袋が当てられた。
手早い処置。・・・僕は苦しみから解放された。
どうやら造影剤の効果はそのまま残っているらしいので、数分間の休憩後、検査は続行された。
まさか、僕が造影剤のアレルギー持ちだったとは・・・。前回のF病院での造影剤CTの時はなんともなかったのだが、なんと2回目でアレルギーが目覚めてしまったらしい。
そして聞くだに造影剤アレルギーは回数を重ねるごとに悪くなっていくらしいのである。一回吐いて終わりってことであれば別になんてことないのだけど、悪くなっていくってことは・・・、と考えると恐ろしい。
とりあえずCTなど隔離された状態での検査で何かあった時は、非常用スイッチは連打した方が良いらしい。1回だけだと「間違えて押したのかな。」と思われてレスポンスが遅いのである。みなさんもお気を付けください。
CTが終わり、念のため車椅子で押され病室へ戻った。次は大腸がん内視鏡なのであるが、検査室で空き時間ができたところに強引に入れる、とのことなので、いつになるか全くわからないとのことだった。
CTから帰って来て1時間くらい経ったであろうか、S看護師が部屋に現れた。そう、あの時間である。
僕はCTの時に着替えた検査着のままベットに横になり S看護師にお尻を向け、全てを委ねた。そして、、、
—自主規制—
あたりもすっかり暗くなったころ、やっと大腸内視鏡に呼ばれた。
やれやれ。