手術が終わった次の日の午前中、僕の鼻には酸素を送り込むチューブが装着されていて、いかにも重病人という感じであったが、お腹の痛み以外は概ね体調は良かった。
最近は手術が終わるとすぐに歩行訓練を行うらしいということは事前情報として仕入れていた。そして開腹手術によりお腹が真っ二つに割れている僕も例外ではない。
なぜ歩行を早く始めるかというと、歩いて体を動かすことで血栓や癒着などができにくくなるからであるらしい。
血栓は一時的なものとしても、臓器の癒着は一生ものである。お腹を一旦開いて外気に臓器が触れると、どうしても臓器同士が癒着してしまうらしい。
腹腔鏡手術では外気に触れる箇所が限定的なため、問題は起こりづらいらしいけど、僕は思いっきりお腹を開門しているわけで。
そして大腸が他の臓器と癒着を起こし、何かの拍子に腸がつっぱたり圧迫されたりするとそれが原因で腸閉塞になる可能性があるという。何かの拍子、ということなのでいつ起きるか分からないのだ。
生涯腸閉塞のリスクがつきまとうというのが僕としてはすごく嫌だったので、できるだけ歩いて、癒着を防ぎそのリスクを少しでも下げたかった。
例えば楽しいハワイ旅行の最中にでも腸閉塞になったら、なんてのは今後絶対に避けなければならないのである。想像するだけで恐ろしい。
なので僕のモチベーションは高い。
とはいえ、お腹の痛みから察するにこの状態で動くのは正気の沙汰ではないことは明白だった。(ちなみにこの時点で僕はまだお腹の傷を見れていない。なぜなら怖いからである。)
少し動いて見てわかったことだけど、皮膚の下にある腹筋ももれなく真っ二つに切られているため、腹筋が全く機能しない。いや、機能するのだがとんでもなく痛い。なので、ベットから上体を起こすだけでも至難の技であった。
ベットの手すりにしがみ付きながら看護師さんに支えてもらい、上体の角度をベッドから垂直に近づけるたびにメリメリメリっとでも言うようなお腹の叫びを気合いで抑えつつ、徐々に体を起こしていく。
やっとのことでベットの脇に腰をかけるところまでなんとか体を起こす。ただ、腰を掛けている状態が実は一番しんどい。強制的に腹筋で上体を支えることになるので、長く座っていられない。
体をくの字に曲げながら地上に足を下ろし、点滴スタンドを支えにしながら、部屋の外の廊下を歩いた。ただ腹筋は足を上げるのにも使う筋肉。痛みで足はほとんどあげることができない。力士のすり足スタイルだ。
一歩一歩、歩を進めるたびにお腹に激痛が走る。往復10メートル、その日はそれが限界だった。
痛み止めをしていてこの激痛である。痛み止めがきれた時のことを考えると恐ろしい。
腹筋の偉大さに気付かされベットに帰ってきた僕は、痛みでテレビや携帯電話を見る余裕すらなく、地球の重力に身を任せ再び眠りについた。その時できる最善の策であった。
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ちなみに術後腸閉塞の件なのだが、例えば北里大学病院では術後腸閉塞を専門に見ている科があり、必要があれば腹腔鏡で癒着をとるという。なのでいざとなればそういう病院に転がり込めばいいだけなので、そんなに心配することでもなかった。
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さて、その日の午後におかしなことが起きた。午後目を覚ますと鼻のチューブが外された。しかし、しばらくするとなんだか息苦しい。
自分が神経質になりすぎているのか、それとも何か体に異変が起こっているのかわからなかったのだが、看護師さんに頼んで再度鼻のチューブ付けてもらい酸素を送り込んでもらった。
そして夕方に再び取り外されたのだけど、やはり取り外されるとどうも息がしずらい。
その後深夜にかけて、遅番の看護師さんに息苦しさを訴えても、酸素濃度の計測で99%近くあったので、まったく相手にしてもらえない。
“術後はいろいろな痛みや変調を患者は訴えてくるもの”と、明らかに切って落とされている、そういう印象をうけた。
でも当の本人は本当に息がしづらくて苦しいのである。これは嘘ではない。
夜の就寝時間になってもこの息苦しさはおさまらず、シーツを力一杯掴み悶えていた。もうこのまま息できなくなって死んでしまうのではないかと本気で思うほどになった。
呼び出しベルを押しては、看護師に息苦しさを訴えつづけ、やっとやっとその重い腰を上げてくれた。彼女は紙袋を僕に渡して、紙袋を口につけてその中で息をしなさいと言ってきた。
彼女の読みでは、どうやら僕は過換気に陥っているらしい。パニックや不安から呼吸が激しくなり呼吸ができないと錯覚するアレである。
彼女の言う通りにすると、確かに紙袋の中でしばらく息をしていると少し症状が落ち着いてきた。完全に治ったわけではないが、紙袋の中での呼吸を幾度も繰り返し、なんとか眠りについた。
こんな簡単な解決方法があるのであればもっと前に言ってよー、と思った。時計は夜中3時を回っていたのである。
ただ、術後の変調はこの後も形を変え現れるのであった。悪夢はこれからである。
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