腹から延びる管

ICU(集中治療室)、そこはまるで嵐の様であった。

手術後、ICUで一晩過ごした僕。暗い部屋の中、朦朧ととした意識の中、でも周りには殺伐とした空気を感じていた。

今思い返すICUのイメージは、嵐の中という言葉がぴったりと合う。

そんな状況下にいたということもあり、ぐっすり眠れるわけはなく、僕は何度か目を覚ましていた。

今回も夜の間看護師さんは何度も僕の背中にクッションを入れ、体の向きを定期的に変えてくれていた。

体は動かないのだけど、やたらと右の肩が痛い。酷い肩こりといった感じ。それを看護師さんに訴えると、すぐに湿布を貼ってくれた。

大昔、サッカーをしていた僕、その時湿布にはお世話になっていたものの、患部を冷やすためだけの文字通り”冷やかし”としか思っていなかったので、看護師さんの対応に落胆したが、それは僕の認識違い。

貼ってくれた湿布は鎮痛効果があるらしく、肩の痛みは湿布を貼ってしばらくすると消え去った。

朝になり、明るくなるのと平行して、僕も意識もはっきりし始めた。朝、看護師さんが僕の体につけられていた器具を外しに来た。

「あら、これ動いてないかったわね。」と看護師さんが呟いた。首をくの字に曲げて、看護師さんの手元に目をやると、そこには足に取り付けられた機械がった。マッサージチェアの足を揉みほぐす部分に似ている器具である。

この器具は、血液が固まらないように足をマッサージし続ける機械であり、確かに最初の手術では一晩中仕事をしてくれていた。しかし、今回は足にマッサージを受けている感触はなかったのである。

看護師さんは何事もなかったっかのように、そのまま器具を外し、片付けた。

なんと、僕は医療ミスを目撃してしまったのである。

とはいえ、医療ミスをの走りを目の当たりにした僕だが、意識はすぐに違うところへ向かった。暗い時には気づかなかったのだけど、なんだか体の周りに袋が置いてある。

なんだか見慣れないジップロックのような袋が体の左右に置かれている。これは一体、、、

器具の片付けが一通り終わると、看護師さんから「歩行練習も兼ねて歯磨きをしましょう。」と声をかけられ看護師さんの補助をもらいながらベットから立ち上がる。

相変わらず、腹筋が役立たずになっていて辛い。

腰をベットにかけるところまでいき、やっと体の周りにまとわりついていた袋の正体の全貌が見えた。どうやら僕の体の中から、6つの管が延びているらしい。

看護師さんがその6つの袋を点滴台と僕の首にそれぞれ引っ掛けると、さあ、どうぞと言わんばかりに僕を地上へと引っ張り出そうとする。腹筋が痛いのと、正体不明の袋を体からぶら下げているのを知った僕は、不安から少し不機嫌になったまま、48時間ぶりくらいに自らの足で地上へと降り立つ。

前回の手術時より、首からぶら下げている袋の重みと点滴台にぶら下げている袋たちのアンバランスさが、足取りを重くさせ、腹筋に”くる”。

洗面台まで、3メートル強の距離だったが、歯磨きができるような状態で洗面台の前に立つことはできず、歯ブラシで歯を一通り撫でると僕はすぐにベッドへと戻った。

このお腹から出ていた管たち。脇腹から4つ、胃と腸から2つ延びているのであるが、僕もいまだに完全に理解したわけではないが役割をここで説明おく。

脇腹から延びている4つの袋は、お腹の中の具合を見るために使用していらしい。定期的に袋の様子を見にきていた医師の独り言を聞くに、横隔膜下窩(か)、ダグラス窩(か)、うんぬんと言っていた。どうやらお腹にある腹腔の名前であるらしく、もしそこに異常があると、この袋に何かが流れ出るらしい。医師たちはその液体の有無を確認し、僕のお腹の中の状態を把握していたようだ。

さらに胃と腸からでていた2本の管は、それぞれ胃瘻(いろう)と腸瘻(ちょうろう)というものであった。

通常、胃瘻は口から食事が取れない患者に対して、胃に管を通し、直接栄養を胃に送り込むために使われる。腸ろうも然り、胃から栄養を送るのにリスクがある場合、小腸に直接栄養を送る際に取り付けられる管である。

上記が通常の使い方なのだが、胃瘻に関して、僕の場合は少し使い方が違った。医師は胃から小腸へモノが流れないようにしたのである。つまり喉を通った全てのモノが胃から外に排出されるように細工されていた。十二指腸の手術を行ったばかりなので刺激を与えないようにそのような措置を取ったよだうだ。

と、いう仕組みではあったものの、その時は知る由もなく。

手術後、なんだか自分の体から緑黄色の液体が点滴台の下にある大きな袋に大量に流れ出ていて気味が悪いと思っていたのが、僕の飲んだ緑茶が流れ出ていただけ、と気づくのに少しだけ時間がかかった。

さて、話を戻そう。

2回目の手術は、このお腹の管が頭を悩ませた。

もちろんお腹の傷は痛いし、麻薬みたいな痛み止めを打ってもらって、”うーうー”うなっていたのだけど、術後4日目には痛み止めがなくても問題なくなった。(痛いのは痛いのだけど。)

お腹の痛みとは違う面で、お腹の管には嫌なポイントが3つある。

ひとつはそのビジュアルである。お腹に穴が空いていて、そこから管が延びている。しかも6本。本人からすれば落ち着かいし、病人感が増す。お腹から管が延びている様を見ることも抵抗があるのだ。

ふたつめは、寝返りが打てないこと。脇腹にも管が通っているので、横を向くと脇に管の違和感を感じて落ち着かない。僕の場合は左右どちらを向いても、管の魔の手から逃れることはできなかったので、しばらく常に正面で寝ざるを得なかった。ただでさえ、自由に動き回れないのにベットの上ですら動きを制限されるのは厳しい。

最後に、歩行練習のし辛さである。前述しているけど、6本の管を点滴台と首にぶら下げて歩くのは辛い。ただでさえ辛い歩行練習をより億劫にさせるのである。

つまり、物理的な痛みとは違って、精神的な辛さがお腹の管にはある。神経質な僕に取ってこの状況は辛かった。

当時つけていた日記を読み返すと、どうやら術後3日目に左横隔膜下窩、4日目に右横隔膜下窩、5日目にダグラス窩と3本の管が抜けたらしい。そこには、3本抜けたことで首から管をぶら下げることもなくなり、歩行練習に対するストレスの軽減ができたので喜んでいる様が記録されていた。

記憶を辿ると4本目もほどなく抜けたと思う。しかし胃瘻と腸瘻の2本に関しては、1ヶ月半もの間装着し続けることになった。これは後述することとしよう。

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最後に、体験談としてお腹から管が抜ける感覚とその後をここに記しておく。

胃瘻と腸瘻に関してはほとんど何も感じないが、横隔膜下窩やダグラス窩の管を抜くときは変な感覚がある時がある。(無感覚のときもあるのだ。)

医師も「はいー変な感じしますよー。」といって管を引き抜く。そしてお腹の中でミミズが動いているような感覚と、管でお腹の中を吸引されているような感覚がある。すこしだけ痛い。

管が抜けた後は、ちっちゃい傷口が皮膚に残りそこにガーゼを当てていれば2日ほどで穴はふさがれる。ただ僕の場合残念ながら傷跡は少し残ってしまった。

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