「この前病理検査の結果がでましてね。リンパ節への転移はなかったんですよ。」
「よかったですね。だから、えー、ステージ2ということになります。」
一瞬何が起きたか理解できなかった。
O医師が病室を出ると、僕は親や恋人や知人にすぐにメールをした。
最初の告知ではステージ4を覚悟し、手術前にはステージ3aと聞き、手術後にはステージ2であることが濃厚となった。医療ってこういうものなのか。
体が、心が軽くなった。
僕のがんの大きさは50mm x 100mmと、通常の悪性腫瘍よりも大きかった。進行度もその大きさに比例していると思われがちであるが、大きくても深達度が低い場合もあるのだ。ただ、これには実はカラクリもあって、後々楽観はできないということを知るのだが・・・。
その時は、うれしいという感覚というより、正しい使い方ではないのだけど、”肩の荷が下りた”。
肩から、心から、体から、重い荷物が下された。そんな感覚を得た。
そもそもなぜ僕はリンパ節の転移を疑われていたのであろうか。ここからは僕の予想なのだけど、答えは結構シンプルで。
もともと僕はお腹が痛くて入院していた。大腸が腫瘍によって圧迫され、消化物の通りが悪くなり、腫瘍周りで大腸菌などが繁殖して炎症を起こしていたと、最初の病院では言われていた。そして大腸で炎症を起こすと、リンパ節も腫れることがある。
炎症によってリンパ節が腫れるということをもちろん医師は理解しているが、悪性腫瘍がある場合はリンパ節の転移を疑うのは自然の流れ。誤診だ、というよりは至極まっとうな可能性の話だったと思う。
炎症でリンパ節が腫れていることもある、ということは僕も手術前から知っていたが、自分のがんに対しての希望的観測をとりやめていた僕に、自分にリンパ節転移が無い可能性なんてことは想像できなかった。青天の霹靂である。
ステージ2のことを連絡した人たちから続々と返信が来た。続々と祝いの言葉が届く。だけど、なんだかしっくりこない。自分自身でも奇妙に思うのだけど、すごく距離を感じる。この距離感は職場復帰の際にさらに感じることになるのだけど、結局当事者と周りの人では、がんに対しての受けとめかたが違うのだろう、と思う。
僕の場合は統計上の生存率が変わってくる大きな話。周りの人にとっては”がんはがん”。そんな印象。考えすぎなのだろうか。
さて、退院の日の朝を迎える。兄が車で病院まで迎えに来てくれる。9時か10時には退院できると聞いていたので、兄には9時前には病院へ着いていてくれとお願いしておいた。もう入院生活には限界がきており、一刻も早く病院から抜け出したかったのだ。
朝7時に起き、退院の準備を進め、看護師さんから忘れ物チェックを受けると、退院許可が9時前にでた。兄からも連絡があり、病院位到着しているという。完璧である。
こうして僕はとりあえずは目の前の命を救ってくれ、1ヶ月の間お世話になった病院を後にすることになった。
最後に、1ヶ月の間窓から眺めていた景色を写真に納め、僕は病室を出た。もうこの部屋には帰って来まいと心に誓い。
病院から僕の家に立ち寄り、生活な必要なものを実家へと運ぶ。しばらくは実家で療養生活を送るのだ。
実家に着くと、新品のパソコンが届いていた。病室で注文しておいたのだ。
そう、僕は退院したら僕の好きなことをすることに決めていたから、それには新しいパソコンが必要だった。
これから第二の人生が始まるんだ。
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