車から見える町並みは華やかで、赤と緑と白と青の光がキラキラ揺れている。
車が銀座に差し掛かったところで初音ミクのデザインを施た痛車が横を通り過ぎる。
車のリアウィンドウに設置したモニターで初音ミクが踊っている。
“わざわざ都心にまで痛車を乗り付けているのは[クリスマスに一人]という鬱憤を晴らすためなのだろうか”
“わざわざ都心までと思ったが別に遠くから来たと決めつけるのはおかしいなナンバープレートを確認しようああもう行ってしまった”
僕は車から見える景色を眺めどうでもいいことを考えながらなんとかこの苦しさから逃げようとしていた。長兄の運転している車は2週間前に退院した病院へと向かっている。
時間を少し巻き戻す。
退院前に聞いた食事療法師さんからの話。”基本的に食べ物の制限はないが腹8分目くらいの食事を心がけること”、とアドバイスを受けたことをすっかり無視し、入院中の鬱憤を晴らすかのように、鶏肉、シャケ、うどん、けんちん汁等々、僕はお腹いっぱい食事をとり続けた。
大腸が自らを善玉菌でいっぱいにしたいのか、豆乳とヨーグルトに対しての欲求が激しく、毎日800グラムのヨーグルト、500mlの豆乳を摂取していた。
当然今まで病院でお腹に優しい消化物に慣れ親しんでいた僕の胃は、久々の重労働にびっくりしたのであろう。胃に刺さっている管、胃ろうが抜けてしまうかというほどに、管が体の中から押し出されることもあった。
それはそれは怖いくらい押し出されて、管と皮膚を繋いでいる糸が引きちぎれてしまうのでは、と思うくらい激しく動いた。
そんな食生活を送っていたので、退院4日経つ頃には、食欲を失っていた。今思えば、胃腸が疲れ切ってしまったのだろうと思う。
ちなみに結局僕の感覚だと、胃腸が完全に機能を回復したのは(食欲が以前のレベルに戻ったのは)術後半年後くらい要したと思う。
食べたいけど、食欲がわかない。だけどとりあえず食べるという生活を送っていた。そしてクリスマス、事件は起きた。
その日は朝から具合が悪く、長男が買ってきてくれたペットボトルのルイボスティを飲みながら一日中2階のベッドで横になっていた。1階では、次男夫婦が連れてきた甥と姪の叫び声が時折聞こえてくる。
夜になり、強い吐き気を感じ、僕は飛び起きた。僕は便器を抱えながら悶え、嘔吐した。
これはさすがに病院へもどらねばなるまい。
こうした経緯で、前段につながるわけだ。
兄と母親に連れられ、病院に着いたのは、8時くらいだろうか。2016年のクリスマスは日曜日だということもあり、病院はもぬけの殻かというほど人の気配がなかった。
裏口から入ると、入り口近くの待合室に腰掛け、呼ばれるのを待った。この時苦しさはある程度収まっていたと思う。
30分ほど経過したであろうか、看護師さんに声をかけられ、血液検査とCT検査をを行う。
検査が終わると、ベッドが用意されていてそこに横になった。兄と母親が横で心配そうな顔をしている。
ただ、僕としてはあまり深刻に捉えてなかった。多分そんな大事な事態には陥ってないだろうな、というのが僕の感覚だった。まあ、大腸がんステージ4を覚悟していた経験もあるのと、気持ち悪かったり嘔吐することって大腸がんの症状とは関係ないというのは分かっていたから。
素人ながら想像できる最悪は手術した十二指腸がなんらかの原因で詰まったか、ということなのだけど、それくらい昨今の医療進歩がなとかしてくれるだろう、そう思っていた。
ベッドで胃の膨満感を我慢しながら白い天井を見上げていると、隣のベッドから若い男二人の話し声が聞こえてくる。
どうやら二人は学生で茨城県から車で東京に出てきていたらしいのだが、夜中に片割れが腹痛に襲われ緊急搬送され、僕の隣のベッドで寝かされているらしい。
彼らの話を聞く限り、虫垂炎(盲腸)の疑いがあるらしいのだが、今日中に車で茨城へ帰らないといけないらしかった。
しばらくすると医師が彼らの元に訪れ、地元の病院へ行くことを約束させ家へ返した。
医師はその足で僕の元へ訪れた。カーテンを開くと入院時にお世話になっていたS医師の姿がそこにはあった。O医師のチームメンバーでまだこのブログには登場していなかったのだが、時折病室に顔を出してくれる30代そこそこで、身長180センチ程度の爽やかナイスガイである。
彼に一通り自分の症状を話をし、彼はまず胃の膨満感を取るべく、胃ろうから胃の内容物を抜く作業に入った。胃ろうの蓋を取りチューブを通すとでるわでるわ、僕がこの病院に着くまでに飲んでいたお茶が500ml程度。
そう、僕が胃の気持ち悪さをとるために飲んでいたお茶は胃でスタックしており、まったく小腸に流れていっていなかったのである。
「これは苦しいわけだ。」とS医師。
「十二指腸のこともあるから今日は入院していっってもらったほうがいい。ベッドがあるかどうかいまっきているから少し待つように。」
僕は目の前が暗くなった。あの息苦しい入院生活にまた戻れというのか。
もうこの病室には帰ってくるまい。
およそ10日前にたてた誓いははかなくも消え去ったのだった。